発心集 ====== 第三第5話(30) 或る禅師、補陀落山に詣づる事 賀東上人の事 ====== ===== 校訂本文 ===== 近く、讃岐の三位といふ人いまそかりけり。かの乳母(めのと)の男にて、年ごろ、往生を願ふ入道ありけり。 心に思ひけるやう、「この身のありさま、よろづのこと、心にかなはず。もし、悪しき病なんど受けて、終り思ふやうならずは、本意(ほんい)遂げんこと、極めてかたし。病なくて死なんばかりこそ、臨終正念ならめ」と思ひて、「身灯せん」と思ふ。 「さても、耐えぬべきか」とて、鍬といふ物を二つ、赤くなるまで焼きて、左右の脇にさしはさみて、しばしばかりあるに、焼け焦がるるさま、目も当てられず。とばかりありて、「ことにもあらざりけり」と言ひて、そのかまへどもしけるほどに、また、思ふやう、「身灯は易くしつべし。されど、この生を改めて、極楽へ詣でん、詮(せん)もなく、また、凡夫なれば、もし終りに至りて、いかが、なほ疑ふ心もあらん。補陀落山こそ、この世間(よのなか)の内にて、この身ながらも詣でぬべき所なれ。しからば、かれへ詣でんと思ふなり」。 また、すなはち、つくろひやめて、土佐の国に知る所ありければ、行きて、新しき小船一つまうけて、朝夕これに乗りて、梶(かぢ)取るわざを習ふ。 その後、梶取りを語らひ、「北風のたゆみなく吹きつよりぬらん時は、告げよ」と契りて、その風を待ち得て、かの小船に帆かけて、ただ一人乗りて、南をさして乗りにけり。妻子(めこ)ありけれど、かほどに思ひ立ちたることなれば、留むるにかひなし。むなしく、行き隠れぬる方を見やりてなん、泣き悲しみけり。 これを、時の人、「心ざしの至り浅からず。必ず参りぬらん」とぞ、おしはかりける。 一条院((一条天皇))の御時とか、賀東聖といひける人、この定(ぢやう)にして、第子一人あひ具して参る由(よし)、語り伝へたる跡を思ひけるにや。 ===== 翻刻 ===== 或禅師詣補陀落山事 賀東上人事 近ク讃岐ノ三位ト云人イマソカリケリ彼メノトノ男ニ テ年ゴロ往生ヲネガフ入道アリケリ心ニ思ケルヤウ 此身ノ有様万ノ事心ニ不叶若アシキ病ナントウ ケテ終リ思フヤウナラズハ本意トゲン事極テカタ シ病ナクテ死ナンバカリコソ臨終正念ナラメト思テ 身灯セント思フ。サテモタエヌベキカトテ。クワト云物 ヲ二ツ。アカクナルマデヤキテ左右ノワキニサシハサミ テ。シバシバカリアルニ。ヤケコガルル様目モ当ラレズ。ト斗 アリテ。コトニモアラザリケリト云テ其カマヘドモシケル/n9l 程ニ又思フヤウ。身灯ハヤスクシツベシ。サレド此生ヲ改 テ極楽ヘマウデンセンモナク。又凡夫ナレバ若ヲハリニ 至テ。イカカ猶疑フ心モ有。補陀落山コソ此ノ世間ノ内 ニテ此身ナガラモ詣デヌベキ所ナレ。シカラバカレヘ詣 テント思ナリ又即ツクロヰヤメテ。トサノ国ニ知処アリ ケレバ行テ新キ小船一ツマウケテ朝夕コレニノリテ。カ チトルワザヲ習フ。ソノ後梶トリヲカタラヒ北風ノタユ ミナク吹ツヨリヌラン時ハ。ツケヨト契リテ其風ヲ待得 テ彼小船ニ帆カケテ。タタ一人乗テ南ヲサシテ。ノリニ ケリ。メコアリケレド。カ程ニ思立タル事ナレバ留ルニカイ/n10r ナシ空ク行カクレヌル方ヲ見ヤリテナン。ナキ悲ケリ 是ヲ時ノ人心ザシノ至リアサカラズ必ズマイリヌラントゾ ヲシハカリケル一条院ノ御時トカ賀東ヒジリト云ケ ル人此定ニシテ第子独相具シテマイル由語伝タル 跡ヲ思ヒケルニヤ/n10l