発心集 ====== 第三第3話(28) 伊予入道、往生の事 ====== ===== 校訂本文 ===== 伊予守源頼吉((源頼義))は、若くより罪をのみ作りて、いささかも慚愧(ざんぎ)の心なかりけり。いはんや、御門の仰せといひながら、陸奥国(みちのくに)に向ひて、十二年の間、謀叛の輩(ともがら)を滅ぼし、もろもろの眷属、境界を失へること数を知らず。 「因果の理(ことはり)空しからずは、地獄の報ひ疑なからん」と見えけるに、みのわの入道とて、先立ちて世を背ける者ありけり。折節に、この世の無常、身罪の報ひの恐るべきやうなんどを言ひけるを聞きて、たちまちに発心して、頭(かしら)おろして、一筋に往生極楽を願ひけり。 かのみのわの入道が作りける堂は、伊予入道の家向ひ、佐女牛(さめうじ)西洞院なり。みのわ堂といひて、近くまでありき。かの堂にて、行なふ間に、昔の罪を悔ひ悲しみける。涙、板敷に落ち積りて、大床に伝はり、大床より流れて、土に落つるまでなん泣きける。 その後、語りていはく、「今は往生の願ひ、疑ひなく遂げなんとす。勇猛・強盛(がうじやう)なる心のおこれること、昔、衣川の館を落さんとせし時に異ならず」となん言ひける。 まことに、終りめでたくて、往生したる由、伝((続本朝往生伝))に記せり。 多く罪を作れりとて、卑下すべからず。深く心を発(おこ)して勤め行へば、往生すること、またかくのごとし。 その息((息子。源義家のこと。))は、つひに善知識もなく、懺悔の心もおこさざりければ、罪ほろぶべき方なし。重き病を受けたりけるころ、向ひに住みける女房の夢に見るやう、さまざま姿したる恐しき物、数も知らず、そのあたりをうち囲(かご)めり。「いかなることぞ」と尋ぬれば、「人を搦めんとするなり」と言ふ。とばかりありて、男を一人追ひ立て行く先に、札をさし上げたるを見れば、「無間地獄の罪人」と書けり。夢覚めて、いとあやしく思えて、尋ねければ、「この暁、はやく失せ給ひぬ」となん言ひける。 ===== 翻刻 ===== 伊予入道往生事 伊予守源頼吉ハ若クヨリ罪ヲノミ作リテ聊モ慚愧ノ 心ナカリケリ況ヤ御門ノ仰ト云ナガラミチノ国ニムカヒ テ十二年ノ間謀叛ノ輩ヲホロボシ諸ノ眷属境界ヲ 失ヘル事数ヲシラズ因果ノ理ハリ空シカラズハ地獄ノ/n5l 報疑ナカラントミヘケルニ身ノハノ入道トテ先立テ世ヲ ソムケル者アリケリ。ヲリフシニ此世ノ無常身罪ノムクヒ ノオソルベキ様ナンドヲ云ケルヲ聞テ忽ニ発心シテ。カシ ラヲロシテ一筋ニ往生極楽ヲネガヒケリ彼ミノハノ入 道カツクリケル堂ハ伊予入道ノイヱムカヒ。サメウジ西ノ 洞院ナリ。ミノワ堂ト云テ近クマデアリキ。彼堂ニテ行 ナフ間ニ昔ノ罪ヲクヰカナシミケル涙板敷ニヲチツモ リテ大床ニツタハリ大床ヨリ流テ土ニ落ルマデナン。ナ キケル其後カタリテ云ク今ハ往生ノネガヒ疑ナクトケ ナントス勇猛カウジヤウナル心ノヲコレル事ムカシ衣川ノ/n6r タチヲ落サントセシ時ニ異ナラズトナン云ケル。マコトニ 終リ目出テ往生シタル由伝ニシルセリ多ク罪ヲ作レ リトテ。ヒゲスヘカラス深ク心ヲ発シテツトメ行ナヘバ往生 スル事又如是。ソノ息ハツヰニ善知識モナク懺悔ノ心モ ヲコサザリケレハ罪ホロブベキ方ナシ重キ病ヲウケタリ ケル比。ムカヒニスミケル女房ノ夢ニ見ルヤウ。サマザマスカタ シタル。ヲソロシキ物数モシラズ。ソノアタリヲ打カゴメリ 如何ナル事ソト尋ヌレハ人ヲカラメントスルナリト云フ トバカリアリテ男ヲヒトリヲヰ立テ行クサキニ札ヲサシ アゲタルヲミレバ無間地獄ノ罪人トカケリ夢サメテ/n6l イトアヤシク覚テ尋ケレバ此暁ハヤクウセ給ヌトナン云ケル/n7r