発心集 ====== 第二第1話(13) 安居院の聖、京中に行く時、隠居の僧に値ふ事 ====== ===== 校訂本文 ===== 近ごろ、安居院(あぐゐ)((底本、本文では「アクイ」、標題は「アクイン」と振り仮名。))に住む聖ありけり。なすべきことあつて、京へ出でける道に、大路面(つら)なる井(ゐ)のかたはらに、下種(げす)の尼の、者洗ふありけり。この聖を見て、「ここに人の、あひ奉らむと侍るなり」と言ふ。「誰と申すぞ」と言へば、「今、対面でぞ、のたまはせむずらむ」と言ひて、「ただ、きと立ち入り給へ」と切々に言ひければ、思ひながら、尼を前(さき)に立てて、行き入つて、見れば、はるかに奥深(おくふか)なる家の、小さく造れるに、年たけたる僧、一人(いちにん)あり。 その言ふことを聞けば、「いまだ知り奉らざるに、申すはうちつけなれど、かくて、形のごとく後世の勤めをつかまつりて侍りつれど、知れる人もなければ、善知識もなし。また、まかり隠れけんのちは、とかくすべき人も思え侍らぬによりて、『誰にても、後世者と見ゆる人、過ぎ給はば、必ず呼び奉れ』と、上(うは)の空に申して侍りつるなり。さて、もし、うちひき給はば、あやしげなれども、跡に残るべき人もなし。『譲り奉らん』と思ひ給へるなり。それにとりて、かくて侍るを、悪しくも侍らず。なかなかしづかに侍るを、隣に検非違使の侍りつる間に、罪人を責め問へる音(おと)なんどの聞こえて、うるさく侍りつれば、『まかり去りなばや』と思ひ給はれど、さても、『いくほどもあるまじき身を』となむ、思ひわづらひ侍る」なんど、細やかに語る。 この聖、「かやうに承はるは、さるべきにこそ。のたますることは、いとやすきことに侍り」とて、浅からず契りて、おぼつかなからぬほどに行き訪(とぶら)ひつつ過ぎけり。 そののち、いくほどなく隠れける時、本意(ほんい)のごとく、行きあひて、これを見あつかふ。弥勒の持者なりければ、その名号を唱へ、真言なんど満てて、臨終思ふやうにて終りにけり。言ひしがごとく、とかくのことなんど、また口入れする人もなし。 されど、この家をば、その尼になむ取らせたりける。さて、かの尼に、「いかなる人にておわせしぞ。また、何事の縁にて、世をば渡り給ひしぞ」なんどと、問ひければ、「われも、くはしきことはえ知り侍らず。思ひがけぬゆかりにて、付き奉りて、年来つかうまつりつれど、誰とか申しけむ。また、知れる人の尋ね侍るもなかりき。ただ、つくづくと一人のみおはせしに、時料は二人がほどを、誰人とも知らぬ人の、失するほどをはからひてなむ、まかり過ぎし」とぞ語りける。 これも、やうありける人にこそ。 ===== 翻刻 ===== 発心集第二 鴨長明撰 安居院聖行京中時隠居僧値事 近比安居院ニ住聖アリケリ。ナスベキ事有テ京ヘ 出ケル道ニ大路ツラナルヰノカタハラニ下主尼ノ物 アラフ有ケリ。此ノ聖ヲ見テココニ人ノ相奉ムト侍ヘル 也ト云フ。誰ト申ゾト云ヘバ。今対面デゾノ給ハセム ズラムト云テ。只キト立入給ヘト切々ニ云ケレバ。思 ナガラ尼ヲ前ニタテテ行入テ見レバ。ハルカニ奥フカナル 家ノチイサク造レルニ。年タケタル僧一人アリ。其云 事ヲ聞バ。未知タテマツラザルニ申ハウチツケナレド。/n3l カクテ形ノ如ク後世ノツトメヲ仕テ侍ツレド知 レル人モ無レバ善知識モナシ。又罷隠ケン後ハトカク スベキ人モ覚侍ラヌニヨリテ。誰ニテモ後世者ト見 ユル人過給バ。必ズヨヒ奉レトウハノ空ニ申テ侍ヘリ ツル也。サテ若ウチヒキ給バ。アヤシゲナレトモ跡ニノコルベ キ人モナシ。譲リ奉ラント思給ヘルナリ。其ニ取テカク テ侍ベルヲ悪クモ侍ラズ。中々シヅカニ侍ベルヲ隣ニ検 非違使ノ侍ベリツル間ニ。罪人ヲ責問ル音ナムドノ 聞ヘテウルサク侍ベリツレバ罷去ナバヤト思給レド。サテ モイク程モ有マジキ身ヲトナム思ワヅラヒ侍ベルナム/n4r ドコマヤカニ語ル。此聖加様ニ承ハサルベキニコソ。ノ給 スル事ハイトヤスキ事ニ侍ベリトテ。浅カラズ契テヲ ホツカナカラヌ程ニ行訪ヒツツ過ケリ。其後イク程ナ クカクレケル時。本意ノ如ク行アヒテ是ヲ見アツカフ。 弥勒ノ持者ナリケレバ。其ノ名号ヲ唱ヘ真言ナムドミ テテ臨終思様ニテヲハリニケリ。云シカ如クトカクノ事 ナムド又口入スル人モナシ。サレド此家ヲハ其尼ニナム 取セタリケル。サテ彼ニ尼何ナル人ニテヲワセシゾ又 何事ノ縁ニテ世ヲハ渡給シゾナムドト問ケレバ我モ 委事ハヱシリ侍ラス。思カケヌユカリニテ。ツキタテ/n4l マツリテ年来ツカウマツリツレド、誰トカ申ケム又シ レル人ノ尋侍ヘルモ無リキ。唯ツクヅクトヒトリノミヲワセ シニ時料ハ二人カ程ヲ誰人トモ知ラヌ人ノウスル程 ヲハカラヒテナム罷過シトソ語ケル。是モヤウ有ケル人ニコソ/n5r