平中物語 ====== 第29段 またこの男聞きわたる人なりけれどことにもの言はむとも・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== また、この男、聞きわたる人なりけれど、ことに「もの言はむ」とも思えざりける女なれど、知る人のありければ、文(ふみ)時々とり伝へなどしけるをば、「頼もし人」とぞ付けた りける。それに、「はや、たばかれ」などぞ責めける。「今宵、もし、月おもしろくば、来しかし。たばかり見つべくは」と言ひたれば、「何の良きこと」と来にけり。 さて、かの頼もし人に、消息(せうそこ)言ひたるに、呼び入れて、「月見よ」など言ひて呼び出だしたり。さて、もろともに、もの一言二言言ひて、頼もし人は、ふと這ひ入りにけり。されば、この心ざし言ふ女、「われも入りなむ」と言ふ気色のあれば、「あな恨めし。誰(たれ)ゆゑに頼もし人ぞ」と、言ひ恨みければ、「よし、さらば入らじ。つとめて、この頼もし人の、とく入りにたるやうに、とがなう言ひおこせよ」と、女言ひけり。 さりければ、   長き夜を頼め頼めて有明の心づきなく隠れしやなぞ と言ひたれば、頼もし人、   いかでかは光の二つ身に添はむ((影印に「む(ん)」字見えず。))月には君をみかへてぞ寝し   光りにし光添はずは月も日も並ぶたとひに言はずぞあらまし など言ふほどに、「親、聞き付けて、いみじう言ふめれば、えたばかるまじ」と言へるやうは、親にはあらで、先立(さいた)ちて思ふ男ぞありけるを、ことづけて言ふなりけり。 男、また言ひける。   東屋の織るしづはたのをさをあらみ間遠に会ふぞわびしかりける かう言へど、この「もとの人あり」と聞きて、この今の人、また言ふ。   心もて君が織るてふしづはたの会ふ間遠きを誰にわぶるぞ さて、「なほ、行かむ」とあれど、また、え会はでやみにけるに、もと来し男も来ずなりにければ、女がのちの男に言ひやる。   言の葉の上の緑にはかられて竹のよなよな空(むな)し寝やする と「『はかられにけり((底本「はかられにけにけり」。「けに」を衍字とみて削除。))』といとほしうて、この文(ふみ)にあること、いとあやし。暮れに必ず」と言ひたれば、男、かの頼もし人にも、「かかりけり」と言ひたれば、その暮れに来にけり。 さて、ものなと言ひて、頼もし人、「この男を、いとあやしき者に聞きしかど、見るにはさしもあらざりけり」とて、頼もし人、男に言ふ。 川よきに堰(せ)きとどめたる水上の見るまにまにも勝る君かな 返し、 水上の思ひ勝らむ川よきてわが田に絶えじ堰きてとどめむ それに、人まじりて、琴などをかしう弾きて、ものをかしう言ふ人ありけり。男、なほしもあらで、「この琴弾くは誰ぞ」と頼もし人に問ひければ、「ここに通はるる御親族(みしぞく)などぞ」と言へば、それにこの男、「いかでか」と思ふ心付きにけり。 さて、このもとよりの人の聞くに、え気色ばみては言はで、「おのが身は、いと口惜しく、妹(いもうと)も無ければ、この琴弾き給ふは、妹背山(いもせやま)にやは頼み給はぬ」と、男言へば、琴弾く女、「われも兄(せうと)無きわびをなむするよ。せむかし」と言へば、集まりて言ひすさびて、夜明けにければ、帰りにけり。 朝(あした)に文どもやるとて、 崩れずな妹背の山の山菅(やますげ)の根絶えばかかる草ともぞなる 返し、 山菅は思ひやまずのみ茂れども何か妹背の山は崩れむ かく言ひつつ、さて、「いかで、ありしやうなることをぞよき」と言へど、「ここにて、いかが思はむ。今、ほかにて」とぞ、言ひ交しける。 男、言ひやる。 巌(いはほ)にも身をなしてしが年経ても乙女が撫でむ袖をだに見む 返し、 天つ袖撫づる千歳の巌にも久しきものとわが思はなくに と言へりけれど、「この人に付きて、いと忍びて、ものし給へ」と言へば、来たり。呼び入れて人にも知られで、あひ語らひける。 ===== 翻刻 ===== 女はおもひはちてかへり事もせす又この男/41ウ ききわたる人なりけれとことにものい はんともおほえさりける女なれとしる 人のありけれはふみときときとりつたへ なとしけるをはたのもし人とそつけた りけるそれにはやたはかれなとそせめけ るこよひもし月おもしろくはこしかし たはかりみつへくはといひたれはなにの よき事ときにけりさてかのたのもし 人にせうそこいひたるによひいれて 月見よなといひてよひいたしたりさて もろとんにものひとことふたこといひて/42オ たのもし人はふとはひいりにけりさ れはこの心さしいふ女我も入なんといふけ しきのあれはあなうらめしたれゆへ にたのもし人そといひうらみけれはよし さらはいらしつとめてこのたのもし 人のとくいりにたるやうにとかなういひを こせよと女いひけりさりけれは なかきよをたのめたのめてありあけの 心つきなくかくれしやなそ といひたれはたのもし人 いかてかはひかりのふたつ身にそは/42ウ 月にはきみをみかへてそねし ひかりにし光そはすはつきも日 もならふたとひにいはすそあらまし なといふほとにおやききつけていみしう いふめれはえたはかるましといへるやうは をやにはあらてさいたちておもふをとこそあ りけるおことつけていふなりけりをとこ又 いひける あつまやのおるしつはたのおさを あらみまとをにあふそわひしかりける かういへとこのもとの人ありとききてこのい/43オ まの人またいふ こころもてきみかをるてうしつはたの あふまとおきをたれにわふるそ さてなをいかむとあれとまたえあはて やみにけるに本こしおとこもこすなり にけれは女かのちの男にいひやる ことの葉のうゑのみとりにはかられて たけのよなよなむなしねやする とはかられにけにけりといとほしうてこの ふみにある事いとあやしくれにかなら すといひたれはおとこかのたのもし人にも/43ウ かかりけりといひたれはそのくれに きにけりさてものなといひてたのもし 人このをとこをいとあやしきものにきき しかとみるにはさしもあらさりけりとて たのもし人男にいふ かはよきにせきととめたるみなか みの見るまにまにもまさるきみかな かへし みなかみのおもひまさらむかはよき てわかたにたえしせきてととめん それに人ましりてことなとをかしうひ/44オ きてものをかしういふ人ありけりおと こなをしもあらてこのことひくはたれそ とたのもし人にとひけれはここにかよはるる みしそくなとそといへはそれにこのおとこ いかてかとおもふこころつきにけりさて この本よりの人のきくにえけしきはみ てはいはておのか身はいとくちをしくいも うともなけれはこのことひきたまふはいも せやまにやはたのみたまはぬとおとこいへは ことひく女我もせうとなきわひをなん するよせんかしといへはあつまりていひす/44ウ さひて夜あけにけれはかへりにけり あしたにふみともやるとて くつれすないもせの山のやますけの ねたへはかかるくさともそなる かへし やますけはおもひやますのみし けれともなにかいもせの山はくつれん かくいひつつさていかてありしやうな ることをそよきといへとここにていかかおも はんいまほかにてとそいひかはしけるをとこ いひやる/45オ いはほにも身をなしてしかとしへても おとめかなてんそてをたに見ん かへし あまつそてなつるちとせのいはほにも ひさしきものとわかおもはなくに といへりけれとこの人につきていとしのひ てものしたまへといへはきたりよひ入て 人にもしられてあひかたらひける又この男/45ウ