平中物語 ====== 第1段 今は昔男二人して女一人をよばひけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 今は昔、男二人して、女一人をよばひけり。先立(さいだ)ちてより言ひける男は、官(つかさ)まさりて、その時の御門に近うつかふまつり、のちより言ひける男は、その同じ御門の母后(ははきさき)の御あなすゑにて、官(つかさ)はおとりけり。されど、いかが思ひけむ、のちの人にぞ付きにける。 かかれば、この初めの男は、この持たりける男をぞ、いみじくあたみて、よろづのたいだいしきことを、ものの折ごとに御門の、「なめし」と思すばかりのことを作り出だしつつ、聞こえ損ひけるあひだに、この男、はた宮仕へをば苦しきことにして、ただ逍遥をのみして、衛府官(ゑふづかさ)にて、宮仕へもつかうまつらずといふこと出で来て、官(つかさ)取らせ給へば、世の中も思ひうじて、「憂き世には交はらで、ひたみちに行ひにつきて、野にも山にも交りなむ」と思ひつれど、一寸((底本「一す」))をだにも放たず、父母のいみじくかなしくし給ふ人なれば、憂きもこれにぞ思ひさはりぬる。 時しもあれ、秋のころにさへありければ、いともの心細う思えて、心一つをなぐさめ侘ぶる夕暮れに、かく言ふ。   憂き世には門(かど)させりとも見えなくに何(な)ぞもわが身の出でがてにする と言ひつつ、ながめ居たるあひだに、なまいどみて、ものなど言ふ人のもとより、蔦(つた)の、いみじくもみぢたる葉に、「これは何とか見る」とて、おこせたりければ、かく言ひやる。   うきなのみたつたの川のもみぢ葉はもの思ふ秋の袖にぞありける 返しもせず。 この男の友達ども、集まり来て、言ひ慰めなどしければ、酒ら飲ませけるに、宵(よひ)になりにければ、いささかけ近き遊びなどして、   みのうみの思ひなく間は今宵かな浦に立つ波うち忘れつつ とあり。これをあはれがりてぞ、遊び明かしける。 さて、またの夜の月、よに知らずおもしろきに、よろづのころ思えて、簀の子に出で居て、空をながめけるほどに、夜の更け行けば、風はいと心細く吹きて、苦しきまで思えければ、もののゆゑ知れる友達のもとに、「寝で月は見るらむ」と思ひて言ひやる。   歎きつつ空なる月をながむれば涙ぞ天の川と流るる とて、やりたりければ、かのやりたりける人も、たまさかに思ひて、やりたりけるに、「やうに月見る」とて、まだ寝でぞあるに、かかるに持て来たれば、いとをかしみて、返しす。   天の川君が涙の川ならば色ことにてや落ちたぎるらむ さて、また、異(こと)友達どもぞ来たりける。世の中の物語どもなどして言ふ、「『きのせ川昨日の淵ぞ』と言ふことをなん、え知らぬ。それがやうに、この官(つかさ)取られ給へることをぞ、その罪とえ知らねば、このきのせ川になん来たる」とて、来たる人、かくなむ、   世の中の淵瀬の心今までにきのせ川をぞ知らず経にける 返し   きのせ川われも淵瀬を知らねばぞ渡るとやがて底に沈める かかるほどに、冬になりぬれば、いとつれづれに、世の中恨めしきことのみ思へば苦しきを、行ひは許されず、「心なぐさめに、東(あづま)のかたへまからむ」と親に申しければ、「なほ、この正月の司召しに過ぐせ。それに、ともかくもあらずは、唐土(もろこし)へもいませよ」とのたまふに、さはりて待ちけるに、その司召しにむなしうなりぬれば、思ひうじはてて、さ言はで、えあるまじき人のもとに言ひやる。   うき草の身は根を絶えて流れなん涙の川の行きのまにまに とあるを見て、「さりとも、ふとはえ行き離れじ」と思ひて、返し。   遅れ居て歎かんよりは涙川われおり立たむまづ流るべく かくて、まことにこの男、「もの去(い)なむ」と思ひたる気色を見て、親、明け暮れ呼び据ゑて、「人の世のはかなきを知る知る、『遥かに去なむ』と言ふは、親をいとふか。なほ、この正月の司召しをだに待て」と、せちにのたまふ。 思ひわづらひて、ながらふるに、その司召しにもかからずなりにけるに、深く、「世の中憂きこと」と思ひうじはてて、御門の御母后(ははきさき)のおもと人、この知れる人の中に言ひやる。   なりはてん身をまつ山のほととぎす今は限りとなき隠れなん とありけるを、おもと人ら、あはれがりて、「かくなん申したる」とけいしければ、父はたその后の甥にて、「罪科(つみとが)もなきに、かくてさぶらはせ給へば、人の国にも隠れ、山林(やまはやし)にも入りぬべし」と、せちに奏し給へば、「宮仕へせず、そらめきたりとて、『懲らさむ』とて、とたるぞ。今は懲りぬらむ」とて、その司召しのなほしものに、もとの官(つかさ)よりは、いま少しまさりたるをぞ賜ひける。 ===== 翻刻 ===== いまはむかし男二人して女ひとりをよ はひけりさいたちてよりいひける男 はつかさまさりてそのときのみかとにち かうつかふまつりのちよりいひけるをとこ はそのおなしみかとのははきさきの御あ なすゑにてつかさはおとりけりされとい かかおもひけむのちの人にそつきにける かかれはこのはしめのおとこはこのもた りける男おそいみしくあたみてよろつ のたいたいしきことをもののおりことにみ/1オ とのなめしとおほすはかりの事を つくりいたしつつきこえそこなひ けるあいたにこのおとこはた宮つかへ おはくるしき事にしてたたせうよう をのみしてゑふつかさにて宮つかへもつか ふまつらすといふこといてきてつかさとらせ たまへはよの中もおもひうしてうき世 にはましはらてひたみちにおこなひに つきて野にもやまにもましりなんと思ひ つれと一すをたにもはなたすちちははの/1ウ いみしくかなしくしたまふ人なれはう きもこれにそおもひさはりぬるときしも あれ秋のころにさへありけれはいともの 心ほそうおほえてこころひとつをなくさめ わふるゆふくれにかくいふ うきよにはかとさせりとも見えなく になそもわか身のいてかてにする といひつつなかめゐたるあいたになまい とみてものなといふ人のもとよりつたの いみしくもみちたる葉にこれはなにとか 見るとておこせたりけれはかくいひやる/2オ うきなのみたつたのかはのもみちは ものおもふ秋のそてにそありける かへしもせすこの男のともたちともあつ まりきていひなくさめなとしけれは さけらのませけるによひになりにけれは いささかけちかきあそひなとして みのうみのおもひなくまはこよひかな うらにたつなみうちわすれつつ とありこれをあはれかりてそあそひあ かしけるさて又の夜の月よにしらすおも しろきによろつの事おほえてすのこに/2ウ いてゐてそらをなかめけるほとに夜のふ けゆけは風はいと心ほそくふきてくる しきまておほえけれはもののゆゑしれる ともたちのもとにねて月は見るらむと思ひて いひやる なけきつつそらなるつきをなかむれは なみたそあまのかはとなかるる とてやりたりけれはかのやりたりける 人もたまさかにおもひてやりたりけ るにやうに月見るとてまたねてそあるに かかるにもてきたれはいとをかしみてかへしす/3オ あまのかはきみかなみたの川ならは いろことにてやおちたきるらん さてまたことともたちともそきたりけ る世中のものかたりとんなとしていふきの せかはきのふのふちそといふことをなんえしら ぬそれかやうにこのつかさとられたまへること をそそのつみとえしらねはこのきのせかはに なんきたるとてきたる人かくなん 世中のふちせの心いままてにきのせ かはをそしらすへにける かへし/3ウ きのせかは我もふちせおしらねは そわたるとやかてそこにしつめる かかるほとに冬になりぬれはいとつれつれに よのなかうらめしきことのみおもへはく るしきをおこなひはゆるされす心なくさめ にあつまのかたへまからむとおやに申けれは なをこの正月のつかさめしにすくせそれに ともかくもあらすはもろこしへもいませよ とのたまふにさはりてまちけるにそのつかさ めしにむなしうなりぬれはおもひうし はててさいはてえあるましき人のもとにいひやる/4オ うき草のみはねをたえてなかれな んなみたの川のゆきのまにまに とあるを見てさりとんふとはえいきはなれ しとおもひてかへし をくれゐてなけかんよりはなみた 河我おりたたんまつなかるへく かくてまことにこのおとこものいなんと思ひ たる気色お見てをやあけくれよひ すゑて人のよのはかなきをしるしるはる かにいなんといふはおやをいとふかなをこの 正月のつかさをめしをたにまてとせちに/4ウ のたまふおもひわつらひてなからふるに そのつかさめしにもかからすなりにける にふかくよのなかうき事とおもひうしはてて みかとの御ははきさきのおもと人このしれる 人のなかにいひやる なりはてん身をまつ山のほとときす いまはかきりとなきかくれなん とありけるをおもと人らあはれかりて かくなん申たるとけいしけれはちちはた そのきさきのおひにてつみとかもなき にかくてさふらはせたまへは人の国にも/5オ かくれ山はやしにもいりぬへしとせちにそ うしたまへは宮つかへせすそらめきた りとてこらさむとてとたるそいまはこり ぬらんとてそのつかさめしのなをし物に 本のつかさよりはいますこしまさり たるをそたまひける又このおとこのこり/5ウ