[[index.html|古今著聞集]] 魚虫禽獣第三十 ====== 690 承安二年五月二日東山の仙洞にて鵯合のことありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 承安二年五月二日、東山の仙洞にて鵯合(ひよどりあはせ)のことありけり。公卿・侍臣・僧徒上下の北面の輩(ともがら)、常に祗候(しこう)の者ども、左右を分かたれたり。左方の頭、内蔵頭親信朝臣((藤原親信))、右方の頭、右近中将定能朝臣((藤原定能))なり。 前夜、寝殿の巽(たつみ)にあたりて、地台一面を置く。五節の造り物の台のごとし。款冬(やまぶき)((山吹))を結びて植ゑたり。その上に銀の賢木(さかき)((榊))を栽(う)ゑて、葉柯(えふか)に用ゐて、銀台をすゑたり。高さ八尺ばかりなり。色どりて藤の花を結びてかけたり。葉柯の南に玉の鵯籠を置く。その北に銀の鵯を入れて置く。仮屋(かりや)の東の砌(みぎり)に、第一の間にあたりて挿花の台を立てて、勝負の算とす。その北に錦の円座を敷きて、太鼓・鉦鼓を立つ。仮屋の艮(うしとら)に盧橘(ろきつ)の樹を作りて植ゑたり。同じく北の妻には、薔薇を作りて栽ゑたり。東の砌には、松樹に藤をかけて植ゑたり。そのほか、牡丹・款冬などを作りて栽ゑたり。 左方の念人(ねんにん)、御前に参集す。右方の念人は蓮華王院に集会しけり。おのおの皆参の後、列参して、西南の門より入りて、殿上に参着しけり。ただし公卿のほかは着かず。右方の頭、中将定能朝臣、事具するよしを奏す。すなはち法皇((後白河上皇))出御ありて、人を召す。権右中弁経房朝臣((藤原経房))、仰せを承りて、早く始むべきよしを仰す。その後、卿相(けいしやう)以下、西の中門の外(ほか)に下り立ちけり。まづ左方の念人着座。次に右方の念人、西の中門を入りて参進の間、参り音声(おんじやう)あり。竹屋を作りて、黒木の屋に擬して、春日詣に准じけり。新源中納言((源資賢))、拍子をとりて、「春日なる御堂の山のあおやまの」と歌ふ。右中将定能朝臣、篳篥(ひちりき)を吹く。右少将雅賢((藤原雅賢))、和琴を弾ず。府の随身二人(壺脛巾、乱緒を着す)、和琴をかく。件(くだん)の両人、まま助音(じよいん)しけり。また陪従信綱も同じく付けけり。右兵衛佐基範((藤原基範))、笛を吹く。念人の中、雅賢朝臣・基範・侍従家保等、舞人の装束をして参進す。見る人嗟嘆(さたん)せずといふことなし。 念人等、右に着座の後、左右の頭を召す。左方、伊予守親信朝臣、右方、右中将定能朝臣、御前に参る。左右の鳥、同時に持参すべきよしを仰す。すなはち両方の鳥を持参して、南の階(はし)の間の簀子(すのこ)に置く。一番、左、右衛門督((平宗盛))の鳥、字(あざな)無名丸。左少将盛頼朝臣((藤原盛頼))持参す。右、五条大納言((藤原邦綱))の鳥、字千与丸。右少将雅賢朝臣持参す。左右ともにうそ((「うそ」は底本「こそ」。諸本により訂正。))を吹く。その興なきにあらず。 「勝負いかやうに見ゆるや」のよし、定能朝臣をもて尋ね仰せられければ、「右の鳥、終頭理ありといへども、中間にまた左の鳥理を得たり。かつまた、一番右勝つ恐れあり」とて、左右持(ぢ)に定め((「定め」は底本「うため」。諸本により訂正。))られにけり。よつて、両方数をさす。左方の算判蔵人右少弁親宗((平近宗))、銀の鵯一羽取りて(兼て方屋の内に置く)、参進して葉柯に付く。次に雅賢朝臣、まづ挿冠(かざし)の花を抜きて、錦の円座に付く。次に鳥を取りて退き入る。盛頼朝臣、同じく鳥を取りて退き入る。その後、十二番ありけり。左方勝ち四番、右方勝ち二番、持六番なり。 次に左方、楽器を立つ。次に楽人参進して楽を奏す。次に陵王((羅陵王))(醍醐の童云々)、陵王の終頭に、右方より定能朝臣をもて、「かくのごときの興遊に、左右勝負舞を奏すること先例あり。いかやうに存ずべきや」のよし奏しければ、用意のこと等、右懃仕(ごんし)すべきのよし仰せられけり。次に納蘇利(なそり)を奏す。右近の将曹多好方・右近の多成長等つかうまつりけり。次に右方の楽人、散楽北面の下臈等、錦の地鋪(ぢしき)を庭上(ていしやう)に敷きて舞台に擬す。妓女二人、甘州(かんしう)を舞ふ。負方、妓女の舞を奏すること、いはれなきことなれども、用意のこと懃仕すべきよし仰せ下さるる間、奏しけるなり。源中納言、羯鼓を打ちて高く唱歌ありけり。この間、盃を羞(すす)む。右の方人、座を立ちて退去して、中門の廊辺に徘徊しけり。次に左右の歌女(うたひめ)唱歌、舞妓なほ舞ふ。興遊にたへず。公卿以下、庭上にて乱舞ありけり。一日の放宴を為すといへども、定めて万代の美談を備ふるか。 昏黒こと了(おはり)て((「了」は底本「う」。諸本により訂正。))、おのおの退出のこと、中御門左大臣殿((藤原経宗))の御尋ねによりて、奉行人経房朝臣書きて奉りけるなり。 ===== 翻刻 ===== 承安二年五月二日東山仙洞にて鵯合のことあり けり公卿侍臣僧徒上下の北面の輩つねに祗候の ものとも左右をわかたれたり左方頭内蔵頭親信 朝臣右方頭右近中将定能朝臣也前夜寝殿の 巽にあたりて地臺一面ををく五節造物の臺のこと し款冬をむすひてうへたり其上に銀の賢木を栽て/s537r 葉柯に用て銀臺をすへたりたかさ八尺はかり也 色とりて藤花をむすひてかけたり葉柯の南に 玉の鵯籠ををくその北に銀鵯をいれてをくかりや の東砌に第一の間にあたりて挿花臺をたてて勝 負の算とす其北に錦円座を敷て大鼓鉦鼓 をたつ仮屋の艮に盧橘樹をつくりてうへたり 同北妻には薔薇をつくりて栽たり東砌には松樹 に藤をかけてうへたり其外牡丹款冬なとをつくり て栽たり左方の念人御前に参集す右方念人は 蓮花王院に集会しけり各皆参の後列参し て西南の門より入て殿上に参着しけり但/s537l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/537 公卿のほかはつかす右方頭中将定能朝臣事具す るよしを奏す即法皇出御ありて人をめす権 右中弁経房朝臣仰をうけたまはりて早くはし むへき由を仰す其後卿相以下西中門のほかに くたり立けり先左方念人着座次右方念人 西中門を入て参進のあひたまいり音声あり竹 屋をつくりて黒木の屋に擬して春日詣に准し けり新源中納言拍子をとりて春日なる御堂の 山のあをやまのとうたふ右中将定能朝臣篳篥 をふく右少将雅賢和琴を弾す府随身二人(壺脛巾/着乱緒) 和琴をかく件両人間助音しけり又陪従信綱もおな/s538r しくつけけり右兵衛佐基範笛をふく念人中 雅賢朝臣基範侍従家保等舞人の装束をし て参進見る人嗟嘆せすといふことなし念人等右着 座の後左右の頭をめす左方伊予守親信朝臣右 方右中将定能朝臣御前にまいる左右の鳥同時に 持参すへきよしを仰す即両方の鳥を持参し て南階の間のすのこにをく一番左右衛門督の鳥 字無名丸左少将盛頼朝臣持参す右五条大納言 の鳥字千与丸右少将雅賢朝臣持参す左右とも にこそをふく其興なきにあらす勝負いかやうに みゆるやのよし定能朝臣をもてたつね仰られけれは/s538l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/538 右のとり終頭理ありといへとも中間に又左の鳥理 をえたり且又一番右勝恐ありとて左右持にうため られにけり仍両方かすをさす左方の算判蔵人 右少弁親宗銀鵯一羽とりて(兼置/方屋内)参進して葉 柯につく次雅賢朝臣先挿冠の花をぬきて 錦円座につく次鳥をとりて退入盛頼朝臣おなし く鳥をとりてしりそき入其後十二番ありけり左方 勝四番右方勝二番持六番也次左方楽器をたつ 次楽人参進して楽を奏す次陵王(醍醐童云々)陵王 の終頭に右方より定能朝臣をもて如此の興遊 に左右勝負舞を奏する事先例ありいかやうに可/s539r 存哉之由奏しけれは用意の事等右可懃仕之由おほ せられけり次納蘇利を奏す右近将曹多好方右近多 成長等つかうまつりけり次右方楽人散楽北面下臈 等錦の地鋪を庭上に敷て舞臺に擬す妓女二人 甘州をまふ負方妓女舞を奏する事いはれなき 事なれとも用意のこと懃仕すへきよし仰下さるる あひた奏しける也源中納言羯鼓をうちてたかく 唱哥ありけり此間羞盃右方人座を立て退去 して中門廊辺に徘徊しけり次左右歌女唱歌 舞妓猶舞興遊にたへす公卿已下庭上にて乱 舞ありけり雖為一日之放宴定備万代之美談/s539l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/539 歟昏黒事うおのおの退出の事中御門左大臣殿の 御尋によりて奉行人経房朝臣書てたてまつ りける也/s540r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/540