[[index.html|古今著聞集]] 魚虫禽獣第三十 ====== 681 ある男日暮れて後朱雀の大路を通りけるにえもいはぬ美女一人あひたりけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== ある男、日暮れて後、朱雀の大路を通りけるに、えもいはぬ美女一人あひたりけり。男、寄りて語らふに、もてはなれたる気色なし。いみじくちかまさりして、いかにも見のがらかすべくも覚えざりければ、さまざまに語らひ契りて、交通(まぐはひ)をなさむとすれば、女のいはく、「かくほどになりぬれば、うちとけたてまつらんことはやすけれども、もしさもあらば、必ず死に給ふべきなり」と言ひて聞かず。男、耐へ忍ぶべくも覚えずして、なほあながちに言へば、女、せんかたなく覚えて、「かくまでねんごろに仰せらるることなれば、いなみがたし。さらば、われ御命にこそは代はりて、仰せられんにしたがひ侍らめ。その志をあはれと思さば、わがために法華経を書き供養して、とふらひ給ふべし」と言ひて、うちとけければ((「うちとけければ」は底本「うちとけられは」。諸本により訂正。))、男、「さしものことはあらじ」とや思ひけん、はやく本意(ほい)とげてけり。 夜もすがら語らひなづさふに、思はしきことかぎりなしとて、夜も明け方になりにければ、女起き別れんとて、男の扇を乞ひて言ふやう、「わが申しつること、偽りにあらず。御身に代はりぬるなり。そのしるしを見んと思さば、武徳殿のほとりを見給ふべし」と言ひて別れぬ。 男、朝(あした)に武徳殿に行きて見れば、一つの狐、扇を面(おもて)に覆ひて、死にて臥したり。男、あはれに悲しきことかぎりなし。七日ごとに法華経一部を書き供養して、とぶらひけり。 七々日に当たる夜の夢に、この女、天女に囲遶(ゐねう)せられて、語りていはく、「われ一乗の力に寄りて、いま忉利天に生まるるなり」と告げて去りにけり。(此物語は法華伝((『法華験記』))にも見えたり) ===== 翻刻 ===== 或男日くれてのち朱雀の大路をとをりけるにえ もいはぬ美女一人あひたりけり男よりてかたらふ にもてはなれたるけしきなしいみしくちかまさりし ていかにも見のからかすへくもおほえさりけれはさまさま にかたらひちきりて交通をなさむとすれは女の いはくかく程になりぬれはうちとけたてまつらん事 はやすけれとももしさもあらは必死に給ふへきなり といひてきかす男たへしのふへくもおほえすして 猶あなかちにいへは女せんかたなくおほえてかくまてねん ころに仰らるる事なれはいなみかたしさらはわれ御命 にこそはかはりておほせられんにしたかひ侍らめ其/s532l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/532 志をあはれとおほさはわかために法華経を書供 養してとふらひ給へしといひてうちとけられは 男さしもの事はあらしとや思けんはやくほいとけて けり夜もすからかたらひなつさふに思はしき事かき りなしとて夜もあけかたになりにけれは女おきわ かれんとて男の扇をこひていふやうわか申つる 事偽にあらす御身にかはりぬる也そのしるしを みんとおほさは武徳殿のほとりを見たまふへしと いひてわかれぬ男あしたに武徳殿に行て見れは 一のきつね扇をおもてにおほひて死て臥たり 男あはれにかなしき事限なし七日ことに法花経一/s533r 部を書供養してとふらひけり七々日にあたる夜 の夢に此女天女に囲遶せられてかたりていはくわれ 一乗のちからによりていま忉利天にむまるるなりと つけてさりにけり(此物語は法花伝/にもみえたり)/s533l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/533