[[index.html|古今著聞集]] 草木第二十九 ====== 655 永承六年五月五日内裏に菖蒲の根合ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 永承六年五月五日、内裏に菖蒲の根合(ねあはせ)ありけり。 このこと去三月晦日、堪能(かんのう)の上達部一両・殿上人等を召して、弓の勝負ありけり。また鶏合(とりあはせ)もありけり。弓の勝負なきによりて、菖蒲の根を合はせて勝負を決せられけるなり。 御装束、永承四年十月日歌合の儀のごとし。中宮・皇后宮、みなさぶらさせ給ふ。内大臣頼宗((藤原頼宗))・民部卿長家((藤原長家))・按察大納言信家((藤原信家))・小野宮中納言兼頼((藤原兼家))・左衛門督隆国((源隆国))・侍従中納言信長((藤原信長))・二条中納言俊家((藤原俊家))・中宮大夫経輔((藤原経輔))・左宰相中将能長((藤原能長))・三位中将俊房((源俊房))・三位少将忠家((藤原忠家))など参り給ひけり。左右の方人、夕べに及びて参りけり。 まづ御殿に油を供す。その後、左右の文台を立つ。高さ四尺なりけり。南庇の座の東の間に、東西の妻にかきたつ。洲浜(すはま)を作り銀の松を植ゑたり。また同じき鶴亀をすゑたり。沈香(じんかう)をもて巌石を作りて立てたり。その間に銀の遣水(やりみづ)を流して、その前に机を立てて、その上に書(ふみ)一巻を置く。象眼をもて紙として色紙形を模して、おのおの和歌五首を書く。銀を延べて表紙として、彩色青くみどりなり。琥珀を軸として銀を紐とす。洲浜にうち敷きあり。青き色の薄物(うすもの)をもて((「もて」は底本「りて」。諸本により訂正。))波の文になずらふ。長き根五筋をわがねて松の上に置き、洲の辺に置けり。数さしの洲の上にも置けり。また薬玉(くすだま)五流れ、わがねて洲の上に置く。方の人々、東の縁の上に候す。次に数さしの洲浜を立つ。蔵人、これをかきて文台の東に置く。石立てて小松を植ゑたり。菖蒲を作りて、数さしの物とす。次にまた蔵人、右方の文台をかき立つ。方二尺ばかりなるその上に太鼓台を立てて、その上に太鼓を立つ。その前に蝶舞の童人を作り立てて、その根の上に、おのおの和歌を書く。みな銀をもて作れり。また薬玉・長き根をわがねて、洲浜の辺に置く。薬玉みな金銀にて作れり。方の人、西の簀子(すのこ)に候す。次に籌判(かずさし)の洲浜を立つ。蔵人一人、これをかきて文台の西の方に置く。洲浜に竹台の体を作りて、竹を植ゑて、数さしの物とす。 その後、仰せによりて、公卿を分かちて左右とす。左方の公卿、あひ引きて、御前の簀子を経て東にわたりて座につく。内大臣・師方卿((師房(源師房)が正しい。))・兼頼卿・信長卿・経輔卿・俊房卿なり。左の頭、頭弁経家朝臣((藤原経家))、右の頭、頭中将資綱朝臣((源資綱))、進みて文台の下に候す。この間、左右のかざしの童おのおの一人、その所に候す。件(くだん)の童二人、隆国卿の子息なり。みな殿上に候ひけり。 頭弁経家朝臣、良基朝臣((藤原良基))を召す。頭中将資綱朝臣、基家朝臣((藤原基家。底本「基家朝臣」なし。諸本により補う。))を召す。左右あひ分かちて、御前に候す。経家朝臣、長き根を取りて、良基朝臣にさづけて、南の庇に延べ置かしむ。右、またかくのごとし。その長短を争ふ。左の根一丈一尺、右の根((「右の根」は底本「根」。諸本により補う。))一丈二尺。よつて右勝ちにけり。 また二・三番、同じくこれを比ぶ。おのおの一丈なりけり。ただし右方少しまさりたりけるによりて、勝ちに定められけり。三番を限りとしてとどめられぬ。 次に和歌五首を詠む。左、講師(かうじ)長方朝臣・読師(とくじ)経家朝臣、右、講師隆俊朝臣((源隆俊。底本、「隆朝臣」。諸本により訂正。))・読師資綱朝臣なり。判者、内大臣、題、菖蒲・郭公・早苗・恋・祝なり。おのおの詠み終りて、退きて本座に帰着す。 次に管絃の御調度を召す。和琴、民部卿・箏、二位中納言・琵琶、経信朝臣((源経信))・笙、定長朝臣((源定長))・笛、□□((底本二字程度空白。諸本同じ。「主上」が入るか。))・篳篥(ひちりき)、隆俊・唱歌(しやうが)、資仲朝臣。子調子の後、内大臣、御気色によりて笏をさして、御笛を取りて、御座の下に進みてこれを奉る。主上((後冷泉天皇))、御笛を取らせおはしまして後、拍子奉仕せらるべきよし、内大臣に仰せらる。大臣、仰を承りて、座に帰りつきて、安名尊(あなたふと)を唱ふ。 律曲の終りに、諸卿に御衣を賜はす。おのおの退出す。今度殿上人の禄はなかりけるとかや。 ===== 翻刻 ===== 永承六年五月五日内裏に菖蒲の根合ありけり 此事去三月晦日堪能の上達部一両殿上人等 をめして弓の勝負ありけり又雞合もありけ り弓の勝負なきによりて菖蒲根を合て勝負 を決せられける也御装束永承四年十月日 哥合の儀のことし中宮皇后宮みなさふらさせ給 内大臣頼宗民部卿長家按察大納言信家小野 宮中納言兼頼左衛門督隆国侍従中納言信長 二条中納言俊家中宮大夫経輔左宰相中将能長 三位中将俊房三位少将忠家なとまいりたまひ けり左右の方人ゆふへに及てまいりけりまつ御殿に/s516r 油を供すそののち左右の文臺をたつたかさ四尺 なりけり南庇の座の東間に東西の妻にかき たつ洲浜をつくりて銀の松をうへたり又おなし き鶴亀をすへたり沈香をもて巌石をつくり てたてたりそのあひたに銀のやりみつをなかし て其前に机をたててそのうへに書一巻ををく像 眼をもて紙として色紙形を模して各和哥五 首をかく銀をのへて表紙として彩色あをくみ とり也虎魄を軸として銀をひもとす洲浜にうち しきありあをき色のうすものをりて浪の文にな すらふ長根五筋をわかねて松のうへにをき洲の辺/s516l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/516 にをけりかすさしの洲のうへにもをけり又薬玉五流 わかねて洲のうへにをく方の人々東の縁の上に 候次かすさしの洲浜をたつ蔵人これをかきて文 臺の東にをく石たてて小松をうへたり菖蒲をつ くりてかすさしの物とす次に又蔵人右方の文臺 をかきたつ方二尺はかりなる其上に大鼓臺を たててその上に大鼓をたつ其前に蝶舞の童 人をつくりたてて其根の上にをのをの和哥をか く皆銀をもてつくれり又薬玉なかき根をわか ねて洲浜の辺にをく薬玉みな金銀にてつく れり方の人西の簀子に候次籌判の洲浜を/s517r たつ蔵人一人これをかきて文臺の西のかたに をく洲浜に竹臺の体をつくりて竹をうへ てかすさしの物とすそののち仰によりて公卿を 分て左右とす左方の公卿相引て御前の簀 子をへて東にわたりて座につく内大臣師方卿兼 頼卿信長卿経輔卿俊房卿也左頭々弁経家朝臣 右頭頭中将資綱朝臣すすみて文臺の下に候 このあひた左右のかさしの童各一人その所に候 件童二人隆国卿の子息也みな殿上に候けり 頭弁経家朝臣良基朝臣をめす頭中将資綱朝 臣をめす左右相分て御前に候経家朝臣なかき/s517l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/517 根をとりて良基朝臣にさつけて南のひさしにの へをかしむ右又かくのことし其長短をあらそふ左根 一丈一尺根一丈二尺仍右勝にけり又二三番おなし くこれをくらふ各一丈なりけり但右方すこし まさりたりけるによりて勝にさためられけり三 番をかきりとしてととめられぬ次和哥五首をよむ 左講師長方朝臣読師経家朝臣右講師隆朝 臣読師資綱朝臣なり判者内大臣題菖蒲郭 公早苗恋祝也をのをのよみをはりてしりそきて 本座に帰着次管絃の御調度をめす和琴民 部卿箏二位中納言琵琶経信朝臣笙定長朝臣/s518r 笛  篳篥隆俊唱哥資仲朝臣子調子 の後内大臣御気色によりて笏をさして 御笛をとりて御座の下にすすみてこれを奉る 主上御笛をとらせおはしまして後拍子奉仕せ らるへきよし内大臣に仰らる大臣仰をうけ給て 座に帰つきて安名尊をとなふ律曲のをはりに 諸卿に御衣をたまはす各退出今度殿上人の禄は なかりけるとかや/s518l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/518