[[index.html|古今著聞集]] 草木第二十九
====== 649 天暦七年十月十八日殿上の侍臣左右を分かちておのおの残菊を奉りけり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
天暦七年十月十八日、殿上の侍臣、左右を分かちて、おのおの残菊を奉りけり。主上((村上天皇))、清涼殿の東の孫庇(まごびさし)、南の第三間に出御、王卿、東の簀子(すのこ)に候ふ。仰せていはく、「延喜十三年、侍臣献菊。彼日只左衛門督藤原定公((底本ママ。藤原定方。))一人候。仍不相分左右。至于今日数人既候。可相分。(延喜十三年、侍臣菊を献ず。かの日ただ左衛門督藤原定公一人候す。よつて左右に相分かれず。今日に至りて数人既候す。相分かつべし。)」とて、右大臣((藤原師輔))・大納言源朝臣((源高明))・参議師氏朝臣((藤原師氏))三人を左方とす。大納言藤原朝臣((藤原顕忠))・左衛門督藤原朝臣((藤原師尹))二人を右方とす。
左の菊、いまだ仰せかぶらざるさきに、弓場殿(ゆばどの)にかき立つ。その後、召しによりて御前の東庭に参る。洲浜に菊一本を植ゑたる、蔵人所の衆六人してこれをかく。仁寿殿の西の砌(みぎり)の西の辺に、兵衛府の円座(わらふだ)一枚を敷きて、殿上の小舎人一人、矢三隻をもちて候す。洲浜(すはま)の風流さまざまなり。中に銀の鶴に菊の枝をくはへさせて、その葉に歌一首を書く。その後、右の菊、やや久しくして参らせざりければ、たびたび催し仰せらるるほどに、秉燭(へいしよく)に及びて奉りければ、それも所衆ぞかきたりけり。数さしの円座はなし。風流、左には劣りたりけり。銀の鶴に菊をくはへさせて歌を書きたること、左に同じ。
右大臣、奏し申されけるは、「右花其粧劣也。加之数度雖召久不献。然則第一花可為左勝。(右の花その粧劣るなり。これに加へて数度召すといへども、久しく献ぜず。然ればすなはち第一の花、左の勝ちとすべし。)」と。仰せていはく、「事理なり」。よつて、左、数をさす。その時、大臣((藤原師輔))座を立ちて、負方の公卿に罰酒行なはれけり。勝負あるごとに、かくなん行なはる。
次に左、第二((「第二」は底本「第」なし。諸本により補う。))の花を奉る。その花鮮かなれど傾(かたぶき)伏したりければ、仰せによりて負けになりにけり。よつて左の数を抜く。
第三の花、左勝ちて、すなはち乱声(らんじよう)を発(おこ)して竜王((羅陵王))を奏す。左衛門権佐公輔((橘公輔))の息に小舎人橘知信かつかうまつりけり。次に左方の公卿侍臣、前庭にして拝舞ありけり。
その後、左方有相朝臣((藤原有相))、右延光朝臣((源延光))に仰せて、鶴のふくむ和歌を召さる。おのおの取りて参りて、御座の南の辺に候す。「すなはち両人を」とて、せられけり。
左の歌
千年(ちとせ)ふる霜の鶴(つる)をば置きながら菊の花こそ久しかりけれ
右の歌
たづのすむ汀(みぎは)の菊は白波のをれど尽きせぬ影ぞ見えける
その後、舞を奏す。左方、渋河鳥(しむがてう)、左近将曹船木茂真・舞師長尾秋吉ぞつかうまつりける。右方、綾切(あやぎり)、右衛門府秦良佐・近衛身高つかうまつる。後々の舞、件(くだん)の四人、さらに奉仕しけり。左右ただ勝負舞のまうけばかりにて、他の舞のまうけなかりけるを、にはかの仰せによりて余曲をば供しけり。左、万歳楽(まんざいらく)・太平楽(たいへいらく)、右、石川楽(せつせんらく)・長保楽(ちやうほうらく)なり。
舞終りて、さらに双調(さうでう)を奏す。管絃にたへたる((「たへたる」は底本「たつたる」。諸本により訂正。))侍臣等、河竹の北の辺に候す。また楽所の輩(ともがら)も同所の東の辺に候ひて、あるいは歌ひ、吹き、弾ず。この間に御膳を供す。また侍臣に仰せて、御箏を奉る。これよりさきに御座の南の辺に置物御厨子(みづし)一脚を立てて、件の御箏を置きまうけたり。式部卿親王((醍醐天皇皇子重明親王))、和琴を弾じ、源大納言、琵琶を弾じけり。
御遊をはりて王卿以下に禄を賜ふ。((「賜ふ」は底本「給ふを」。諸本により訂正。))また御酒(おんみき)参りて、式部卿親王に賜はせけり。親王、すなはち御前の階(はし)の間より庭に下りて、拝舞し給ひけり。南の長階(ながはし)より上(のぼ)りて座につく。さらに盞(さかづき)を取りて、次第に下りけり。納言((源高明))、御挿頭(かざし)のもうけあり。献ずべきよし申されけり。
===== 翻刻 =====
天暦七年十月十八日殿上侍臣左右をわかちて
各残菊をたてまつりけり主上清涼殿東孫庇
南第三間に出御王卿東の簀子に候仰云延喜
十三年侍臣献菊彼日只左衛門督藤原定公一人
候仍不相分左右至于今日数人既候可相分と
て右大臣大納言源朝臣参議師氏朝臣三人を
左方とす大納言藤原朝臣左衛門督藤原朝臣/s510r
二人を右方とす左菊いまた仰かふらさるさきに
弓場殿にかきたつ其後召によりて御前の東庭
にまいる洲浜に菊一本をうへたる蔵人所衆六
人してこれをかく仁寿殿の西砌の西辺に兵衛
府の円座一枚を敷て殿上の小舎人一人矢三隻
をもちて候洲浜の風流さまさまなり中に
銀の鶴に菊の枝をくはへさせてその葉に哥
一首をかく其後右菊良久してまいらせさりけ
れはたひたひ催しおほせらるる程に秉燭に
及てたてまつりけれはそれも所衆そかきたりけ
りかすさしの円座はなし風流左にはをとり/s510l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/510
たりけり銀の鶴に菊をくはへさせて哥をかき
たること左におなし右大臣奏申されけるは右
花其粧劣也加之数度雖召久不献然則第
一花可為左勝仰云事理也仍左かすをさす其時
大臣座をたちて負方の公卿に罸酒をこなはれ
けり勝負あることにかくなんおこなはる次左二花
をたてまつる其花あさやかなれとかたふきふ
したりけれは仰によりて負になりにけり仍左数
をぬく第三花左勝て即乱声を発して龍
王を奏す左衛門権佐公輔息に小舎人橘知信
かつかうまつりけり次左方公卿侍臣前庭にし/s511r
て拝舞ありけり其後左方有相朝臣右延
光朝臣に仰て鶴のふくむ和哥をめさる各
とりてまいりて御座の南辺に候即両人を
とてせられけり
左哥
千とせふるしものつるをはをきなから菊の花こそ久しかりけれ
右哥
たつのすむ汀の菊はしら浪のおれとつきせぬかけそ見えける
其後舞を奏す左方渋河鳥左近将曹船木茂真
舞師長尾秋吉そつかうまつりける右方綾切右
衛門府秦良佐近衛身高つかうまつる後々舞件/s511l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/511
四人更に奉仕しけり左右たた勝負舞のまうけ
はかりにて他舞のまうけなかりけるをにはかの仰
によりて餘曲をは供しけり左万歳楽太平楽右石
川楽長保楽也舞をはりて更に双調を奏す
管絃にたつたる侍臣等河竹の北辺に候又楽
所の輩も同所の東辺に候て或はうたひ吹弾
このあひたに御膳を供す又侍臣に仰て御箏
をたてまつるこれよりさきに御座の南辺に置
物御厨子一脚をたてて件御箏ををきまうけ
たり式部卿親王和琴を弾し源大納言琵琶を
弾しけり御遊をはりて王卿以下に禄を給ふを又/s512r
御みきまいりて式部卿親王にたまはせけり
親王即御前の階間より庭にをりて拝舞した
まひけり南の長階よりのほりて座につく更に盞
をとりて次第にくたりけり納言御挿頭の儲あ
り献すへきよし申されけり/s512l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/512