[[index.html|古今著聞集]] 草木第二十九 ====== 648 貞信公棗を愛して参りけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 貞信公((藤原忠平))、棗(なつめ)を愛して参りけり。式部卿親王((醍醐天皇皇子重明親王))の 家に、良き棗の木ありけり。その木をおろし枝にせられて、手づからみづから花山院の北の対の西の妻の庭前に植ゑ給ひけり。これによりて、その木さうなき名木にていまだあり。 花山院太政大臣((藤原忠雅))の三位中将の時、法性寺殿((藤原忠通))摂政にて、六条坊門烏丸の御亭より土御門内裏へ参らせ給ふには、近衛東洞院は便路なれば、もつともこの大路をこそ通らせ給ふべきに、いかにもよけさせ給ひけり。おのづからこの大路を過ぎさせ給ふとては、東洞院西の四足をは過ぎて、その棟門の前にては、御車の簾を下ろされ、前駆以下を馬より下ろされけり。人怪しみて、その子細を尋ね申しければ、「時の摂政、三位中将を敬ふにあらず。かの亭に、貞信公のまさしく手づから植ゑ給へる名木あり。よつて、かれに礼をいたすなり。このこと、京極大殿((藤原師実))つぶさにしめし給ふむね分明なり」とぞ仰せられける。 また、池の中島にもちの木あり。貞保親王((清和天皇皇子))の木の下に巌上に座し給ひて、常に笛を吹かせ給ひけり。また四面の築地(ついぢ)の上には、瞿麦(なでしこ)をひしと植ゑられたりければ、花の盛りには色々さまざまにて、錦を山に覆へるに似たり。これによりて花山の号はありと申すめる、まことにや。 ===== 翻刻 ===== 貞信公なつめをあいしてまいりけり式部卿親王の 家によきなつめの木ありけり其木ををろし枝 にせられて手つから身つから花山院の北対の西 の妻の庭前にうへ給けりこれによりて其木左 右なき名木にていまたあり花山院太政大臣の三 位中将の時法性寺殿摂政にて六条坊門烏丸の 御亭より土御門内裏へまいらせ給には近衛東/s509r 洞院は便路なれは尤この大路をこそとをらせ給 へきにいかにもよけさせ給けりをのつからこの大路を すきさせ給とては東洞院西の四足をはすきてそ の棟門の前にては御車の簾ををろされ前駆以下 を馬よりをろされけり人あやしみてその子細を 尋申けれは時の摂政三位中将をうやまうにあら す彼亭に貞信公のまさしく手自うへ給へる名 木あり仍かれに礼をいたす也此事京極大殿 つふさにしめし給旨分明也とそ仰られける又池 の中嶋にもちの木あり貞保親王の木の下に 巌上に座し給て常に笛をふかせ給けり又四面 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/509 ついちのうへには瞿麦をひしとうへられたりけれは 花のさかりには色々さまさまにて錦を山におほへるに 似たりこれによりて花山の号はありと申める まことにや/s510r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/510