[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 562 壬生二品家隆の家にてある人の子を男になすこと侍りけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 壬生二品(家隆)((藤原家隆))の家にて、ある人の子を男になすこと侍りけり。隆祐朝臣((藤原隆祐。家隆の長男。))の子になして、やがてかの朝臣、加冠はしけり。 「名をば何とか付くべき」など沙汰しけるを、あつみ三郎為俊といふ田舎侍聞きて、進み出でて言ひけるは、「この殿に御一家は、みな『隆』の字を名乗らせ給ひ候へば、『家隆(いへたか)とや付け参らせらるべく候ふらん」と、ゆゆしくはからひ申したりげにて言ふを、人々、笑ひののしることかぎりなし。 為俊が父、図書允為弘聞きて、「いかになんぢはかかる不思議をば申すぞ。殿の御名乗りをば知り参らせぬか」と言へば、「いかでか知り参らせぬことあるべき」と言ふ。「さるには、かかることをば申すか」と言はれて、「さも候はず。殿の御名乗りをば『家隆(かりう)((「かりう」は底本片仮名で傍書。))』と申すと((「申すと」は底本「と」なし。諸本により補う。))こそ知り参らせて候へ。世にもまた、さこそ申し候ふなれ」と陳じたりける。比興のことなり。 かの卿聞かれて入興(じゆきよう)せられけるとなむ。 ===== 翻刻 ===== 壬生二品(家隆)の家にて或人の子を男になすこと 侍けり隆祐朝臣の子になしてやかて彼朝臣加 冠はしけり名をはなにとかつくへきなと沙汰し/s445r けるをあつみ三郎為俊といふゐ中侍ききて すすみ出ていひけるは此殿に御一家は皆隆 の字をなのらせ給候へはいゑたかとやつけ まいらせらるへく候らんとゆゆしくはからひ申たり けにていふを人々わらひののしる事かきり なし為俊か父図書允為弘聞ていかに汝はかか るふしきをは申そ殿の御なのりをはしりま いらせぬかといへはいかてかしりまいらせぬことある へきといふさるにはかかる事をは申かといはれて さも候はす殿の御なのりをは家隆(カリウ)と申こそしり まいらせて候へ世にも又さこそ申候なれと陳したり/s445l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/445 ける比興の事也彼卿きかれて入興せられ けるとなむ/s446r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/446