[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 547 あるなま蔵人の妻のいともの妬みするありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== あるなま蔵人の妻の、いともの妬みするありけり。男、あぢきなきことに思ひて、「いかがして、この女に離れなん」と思ひけれども、さすがまた宿世(すくせ)尽きねば、ながらへて過ぐしければ、あることなきことにつけて、さいなまれてのみ年を送りけり。 男、案じめぐらして、亀を一つ求めて、首を引き出だして、三・四寸がほどを切りてけり。紙に包みて、懐(ふところ)に引き隠して持ちつ。妻とまたことをあやまちて、いさかひて、互ひにさまざまに言ひて、男、言ふやう、「せむずる所、かやうの口舌(くぜつ)の絶えぬは、これが((「これが」は底本「これに」。諸本により訂正。))ゆゑにこそ」とて、刀を抜きて、おのれがまらを切るよしをして、懐に持ちたる亀の首を投げ出だしたりけり。血みどろなる物の三・四寸ばかりなれば、その物にたがはざりけり。 妻、あさましげになりて、「おほかたの道理をこそ申しつれ、これほどに苦々しく思ひとり給ふべきことかは」とて、くひ苦みてゐたり。さて、「今に心やすく思せ。かくふすべられてのみ過ぐせば、人聞きも見苦しう、あぢきなきことなれば」と言ひければ、「かたきは討ちつ」とて、その切れ引きそばめて、立ち退きにけり。その後、しばしはこの疵のあとやむよしして、うち臥してのみ過ぐしけり。 さて、月ごろ経て、女ひるつれづれなりけるに、端縫(はぬ)ひといふものして、うずくまりてゐたりけるを見れば、股のほどに黒き布を引きまとひたりけり。男、「あやし」と思ひて、「それなる黒き物は何ぞ」と問へば、女は、「ただ」と言ひて、とかく答ふることなし。あながちに問ひければ、隠し果つべきことならねば、「これは故人(こひと)のためよ」と答へけり。その心を得ずして、「故人とは何ぞ」と問へば、「さは、切りて捨て給ひし故人がために、いかでかは素服着せざらんとて、服着せたるぞかし」と言ひけり。 めづらしかりける素服なり。面影推し量られて、をかしくこそ侍れ。 ===== 翻刻 ===== 或なま蔵人の妻のいと物ねたみするありけり 男あちきなき事に思ていかかして此女にはな れなんとおもひけれともさすか又すくせつきね はなからへてすくしけれはある事なきことにつけ てさいなまれてのみ年ををくりけり男あむ しめくらして亀を一もとめてくひを引出て三四 寸かほとを切てけり紙につつみてふところに 引かくしてもちつ妻と又ことをあやまちていさ かひてたかひにさまさまにいひて男いふやうせ むする所かやうの口舌のたえぬはこれにゆへにこそ とて刀をぬきてをのれかまらをきるよしを/s433r してふところにもちたる亀のくひをなけいたし たりけりちみとろなる物の三四寸はかりなれは 其物にたかはさりけり妻あさましけになりて おほかたの道理をこそ申つれこれ程ににかにか敷 おもひとり給へき事かはとてくひにかみてゐ たりさていまに心やすくおほせかくふすへられて のみすくせは人ききも見くるしうあちきなき事 なれはといひけれはかたきはうちつとてそのきれ ひきそはめてたちのきにけり其後しはしは 此疵のあとやむ由してうちふしてのみすくしけり さて月比経て女ひるつれつれなりけるにはぬいと/s433l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/433 いふ物してうすくまりてゐたりけるを見れは またの程にくろき布を引まとひたりけり男 あやしとおもひてそれなるくろき物はなにそ ととへは女はたたといひてとかくこたふる事なし あなかちにとひけれはかくしはつへきことならねは これは故ひとのためよとこたへけり其心をえす して故ひととは何そととへはさはきりて捨給し こ人かためにいかてかは素服きせさらんとて服 きせたるそかしといひけりめつらしかりける素服 也おもかけをしはかられてをかしくこそ侍れ/s434r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/434