[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 538 順徳院御位の時ある所の恪勤者寄り合ひて雑談しけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 順徳院((順徳天皇))御位の時、ある所の恪勤者(かくごんしや)、寄り合ひて雑談しけるに、「内裏の番替(ばんがは)り、このたびはもつてのほかに厳しくて」など言ふを、一人が言ふやう、「いかに厳しくとも、われは高足駄(たかあしだ)履きて通りてむ。少しもとどめらるまじ」と言ひければ、残りの輩(ともがら)、なりかかりて、をこづきけり。 「さらば、あらがひ給へかし。ただ今に見えむすることを」と言ふを、「興あることなり」とて、みなの輩、一方にてこの主(ぬし)一人にかかりて、あらがひかためてけり。わきまへのあるべきやう、引出物のほどらひなど定めて、「さらば、おのおの陣口へ。いさ給へ」とて、引き具していぬ。 人々、目をすましたるに、この主、ことに高き足駄履きて、二条油小路を南へ通るに、案のごとく大番の者、「あの男の足駄は」など言ふを、少しも聞き入れぬさまにて、にらみ回してなほ行くを、大番の者、走り出でて捕らへむとする時、この主、気色変はりたることもなくて、「さもあらず。あたらしきこと言ふ大番かな。南円堂の寄人(よりうど)の、陣口もの履きて通ることをば知らさりけるか。大番を承るほどにて、いかでかわが氏をば知らざりける」と言ひて、ことともせざりければ、主人の武士、「やうれやうれ、南円堂の寄人は、もの履きて通る苦しからぬこと。それとどまれ」と訛り声にて高声(かうしやう)におきてければ、走り立ちてとどめける者、帰りにけり。 さて、ことなく通りにければ、かなしくしおほせられて、おのおのこといかめしうして、面々に引出物ども取らせけり。 院、聞こし召して、件(くだん)の男召し出だして、「そのあらがひたりけむままに振舞へ」と仰せごとありければ、少しもたがはず振舞ひたりければ、しきりに興に入らせおはしましけるとなん。 ===== 翻刻 ===== 順徳院御位の時或所の恪勤者よりあひて雑談 しけるに内裏の番替このたひは以外にきひし くてなといふをひとりかいふやういかにきひしく とも我はたかあしたはきてとをりてむすこしも ととめらるましといひけれはのこりの輩なりかかり/s424l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/424 ておこつきけりさらはあらかひ給へかしたたいまに見え むする事をといふを興あることなりとて皆の輩 一方にて此主一人にかかりてあらかひかためてけりわき まへのあるへきやう引出物のほとらひなとさためて さらはをのをの陣口へいさ給へとて引くしていぬ人々 目をすましたるに此主ことに高きあしたはきて二 条油少路を南へとをるに案のことく大番のものあの 男のあしたはなといふをすこしも聞入ぬさまにてにら みまはして猶行を大番のものはしり出てとらへむと する時此主気色かはりたる事もなくてさもあらすあ たらしき事いふ大番かな南円堂の寄人の陣口もの/s425r はきてとをることをはしらさりけるか大番を承程にて いかてかわか氏をはしらさりけるといひてことともせ さりけれは主人の武士やうれやうれ南円堂の寄人は 物はきてとをるくるしからぬことそれととまれとなまり こゑにて高声にをきてけれは走立てととめけ る物帰にけりさて事なくとをりにけれはかなしく しおほせられて各々こといかめしうして面々に 引出物ともとらせけり院きこしめして件男めし いたして其あらかひたりけむままにふるまへと仰こ とありけれはすこしもたかはすふるまひたりけれは 頻に興にいらせおはしましけるとなん/s425l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/425