[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 517 松殿摂籙の御時春日詣とかやに秦兼国を仮に召されたりけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 松殿((藤原基房))、摂籙(せつろく)の御時、春日詣とかやに、秦兼国を仮(かり)に召されたりけり。そのころまでは、「府の役、力なし」とて、きらはざりけれども、いと面目なきことなれば、鬢(びん)をもかき上げず、いまいましげなる褐着(かちぎ)にて参りたりけり。殿下、そのよしを聞こし召して、引きつくろひて参るべきよし、仰せ下されければ、なまじひに鬢かき上げて供奉しけり。 その後、「兼国、なほさるやうなり」とて、官人の闕(けつ)に召されけるを、番長下野敦景、上(かみ)に加はるとて、憤り申すとて、瑕瑾(かきん)あるよしを申し入れけり。殿下、そのゆゑを御尋ねありければ、「兼国、あまりにわびしき者にて、後園にみづから井を掘りたる者なり」と申しければ、殿の仰せに、「身につかはれたる瑕瑾なし。よく((「よく」は底本「より」。諸本により訂正。))言ひごとのなければこそ、これをば申すらめ」とて、つひに召されにけり。 このこと確かに申し伝へ侍れども、兼国、松殿の官人となりたること確かならず。なほ尋ぬべし。 ===== 翻刻 ===== 松殿摂籙の御時春日詣とかやに秦兼国をかりにめさ れたりけり其比まては府の役力なしとてきらはさり けれともいと面目なき事なれはひんをもかきあけすい まいましけなるかちきにてまいりたりけり殿下そのよしを/s411l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/411 聞召て引つくろひてまいるへきよし仰くたされけれは なましひにひんかきあけて供奉しけり其後兼国な をさるやうなりとて官人の闕にめされけるを番長 下野敦景かみにくははるとていきとをり申とて瑕 瑾あるよしを申入けり殿下そのゆへを御尋ありけれは 兼国あまりにわひしき物にて後薗に身つから井を 堀たる物なりと申けれは殿の仰に身につかはれたる 瑕瑾なしよりいひことのなけれはこそこれをは申らめ とてつゐにめされにけり此事たしかに申つたへ侍れ とも兼国松殿の官人となりたる事たしかならす猶尋へし/s412r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/412