[[index.html|古今著聞集]] 宿執第二十三 ====== 499 陵王の荒序は笛にとりて最も秘曲なり大神基政この曲を習ひ伝へて後・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 陵王の荒序は笛にとりて最も秘曲なり。大神基政、この曲を習ひ伝へて後、かの子孫の弟子ならぬ者はこれを吹くことなし。基賢((大神基賢))・宗賢((大神宗賢))・景賢((大神景賢))、次第に相伝し侍りけるほどに、景賢が弟成賢((大神成賢))伝へたるよしを申しければ、景賢いきどほり申して、後鳥羽院((後鳥羽上皇))の御時、この曲におきては嫡々相伝して吹くべきよし、院宣を給ひてけり。 かかるほどに、景賢が子景基((大神景基))に伝へて後、父景賢失せにければ、景基重服(ぢゆうぶく)にて侍りけるに、その年の放生会(はうじやうゑ)に荒序あるべしとて、成賢つかうまつるべきよし聞こえければ、景基の重服の((底本「重服の」なし。諸本により補う。))身ながら、厳重の神事の庭に参りて、このことを訴(うた)へ申しけり。 上卿源大納言通具卿((源通具))・別当幸清((石清水八幡宮別当紀幸清))、成賢を引きて吹かせんとせられけり。すでに一の笛なり。景基、下臈たる上、当時重服なり。訴へ申すむね、そのいひなきよしを、上卿下知せられけるを、景基、申しけるは、「上卿は神事のやうを行ひ給ふべし。この道のことにおきては、子細を知ろし召さず。一の笛によるべからざることは、先々事切れ候ふぞ。重服の身にて侍る時、楼門の下にて、雨垂(あまだ)りの外へ出でずしてつかうまつりたること、先例候ふ」と悪口に及びければ、京へ人を走らかして、このよしを奏せられければ、摂政殿((藤原家実))、この条におきて、たやすく仰せ下されがたし。かつは神事をおさへらるること、その恐れあり。しかじ、今度荒序なからむには」と仰せられければ、とどまりにけるとなむ。 景基、ゆゆしくぞ侍りける。申すむね、理(ことわり)なり。神慮重服の御いましめもなし。昇進とどこほりなくして、いまだ家になき五位の将監までのぼりにけるは、めでたきことなり。 ===== 翻刻 ===== 陵王荒序は笛にとりて最秘曲なり大神基政 この曲をならひつたへて後かの子孫の弟子ならぬ 物はこれを吹ことなし基賢宗賢景賢次第に 相伝し侍ける程に景賢か弟成賢つたへたるよしを 申けれは景賢いきとをり申て後鳥羽院の御時 此曲にをきては嫡々相伝して吹へきよし院宣を 給てけりかかる程に景賢か子景基につたへて後 父景賢うせにけれは景基重服にて侍けるに 其年の放生会に荒序あるへしとて成賢つかう まつるへきよしきこえけれは景基の身なから厳重/s400r の神事の庭にまいりて此事をうたへ申けり上卿 源大納言通具卿別当幸清成賢をひきてふかせん とせられけりすてに一笛也景基下臈たるうへ 当時重服也うたへ申むねそのいひなきよしを上卿 下知せられけるを景基申けるは上卿は神事の やうをおこなひ給へし此道の事にをきては 子細をしろしめさす一笛によるへからさる事は先々 事きれ候そ重服の身にて侍時楼門のしたにて あまたりの外へいてすしてつかうまつりたる事先例 候と悪口に及けれは京へ人をはしらかして此由を奏 せられけれは摂政殿此条にをきてたやすく仰下/s400l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/400 されかたし且は神事ををさへらるる事其恐あり しかし今度荒序なからむにはと仰られけれはととま りにけるとなむ景基ゆゆしくそ侍ける申むね 理なり神慮重服の御いましめもなし昇進とと こほりなくしていまた家になき五位将監まてのほ りにけるはめてたき事也/s401r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/401