[[index.html|古今著聞集]] 遊覧第二十二
====== 478 承元五年閏正月二日の朝目も驚くばかり雪降り積りけるに・・・ ======
===== 校訂本文 =====
承元五年閏正月二日の朝(あした)、目も驚くばかり雪降り積りけるに、九条大納言((藤原道家・九条道家))参内せられて、「この雪は御覧ずや」とて、人々いざなひて、車寄に車さし寄せて、別当の三位・かうのすけ以下、内侍たち引き具して、やり出だされけり。中宮((順徳天皇中宮藤原立子))は后町(きさいまち)よりいまだ入らせおはしまさねば、中御門殿へやりよせて、宮の女房一車やりつづけて、大内・右近の馬場・賀茂の方ざまへあくがれ行かれけり。
大納言、直衣にてあるいは騎馬せられたりけり。さらぬ人々も、あるいは直衣、あるいは束帯にて、六位までともなひたりけり。賀茂神主幸平((賀茂幸平))、狩装束して車の供に参れり。「昔はかかる雪には馬に鞍置((底本「鞍置」に「クラヲキ」と傍書。))まうけてこそ侍りしに、今はかやうのこと絶えて侍りつるに、めづらしくやさしく候ふものかな」とて、若き氏人ども、同じく狩装束して、おのおの鷹手にすゑて、神館(かんだち)の方へ御供つかうまつりて、雪の中の鷹狩して、御覧ぜさす。
道すがら、いと興あることどもありけり。宮の女房、内の女房言ひかはしつつ、やさしきことども多く侍りけり。後朝(きぬぎぬ)に大納言、宮の御方の按察殿のもとへ、
この春はげにふることぞ思ひ出づる変はらぬ宿の雪をながめて
昔見し庭の雪とは思はねど誰(た)がためならぬ宿ぞ恋ひしき
白雪の降ればかひある世なれども昔よいかに忘れわびぬる
堀川殿((源通具))、石(いそ)の上ふりにしことを返事に、
万代も雪積もるべき雲の上にただ思ひやれ秋の宮人
紅の薄様(うすやう)に書きて、同じき色の薄様にて立文(たてぶみ)て、所衆(ところのしゆう)を使にて、中宮の按察殿の局にさし置かせける。
この贈答のやうおぼつかなし((「おぼつかなし」は底本「おほつなし」。諸本により訂正。))。くはしう尋て直すべし。((底本、この行一字下げ。行人の注記が混入したものか。))
===== 翻刻 =====
承元五年閏正月二日のあした目もおとろく斗雪ふ
りつもりけるに九条大納言参内せられて此雪は
御覧すやとて人々いさなひて車寄に車さしよせ
て別当の三位かうのすけ以下内侍たち引くして
やり出されけり中宮は后町よりいまたいらせおはし
まさねは中御門殿へやりよせて宮の女房一車やり/s375l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/375
つつけて大内右近馬場賀茂のかたさまへあくかれ
ゆかれけり大納言直衣にてあるひは騎馬せられ
たりけりさらぬ人々も或は直衣或は束帯にて
六位まてともなひたりけり賀茂神主幸平
狩装束して車のともにまいれりむかしはかかる
雪には馬に鞍(クラ)置(ヲキ)まうけてこそ侍しにいまはかやう
の事たえて侍つるにめつらしくやさしく候物かな
とてわかき氏人ともおなしく狩装束してをの
をの鷹手にすへてかんたちのかたへ御ともつ
かうまつりて雪の中の鷹狩して御覧せさす道
すからいと興ある事ともありけり宮の女房内/s376r
女房いひかはしつつやさしき事ともおほく侍けり
後朝に大納言宮の御方の按察とのの許へ
此春はけにふることそ思いつるかはらぬ宿の雪を詠て
むかしみし庭の雪とはおもはねとたかためならぬ宿そ恋しき
しら雪のふれはかひある世なれともむかしよいかに忘れわひぬる
堀川殿いその上ふりにし事を返事に
万代も雪つもるへき雲の上にたたおもひやれ秋の宮人
紅のうすやうにかきておなしき色の薄様にてたて
ふみて所衆をつかひにて中宮の按察殿の局にさし
をかせける
この贈答のやうおほつなしくはしう尋てなを/s376l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/376
すへし/s377r
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/377