[[index.html|古今著聞集]] 遊覧第二十二 ====== 476 同じ院鳥羽殿におはしましける時昨日より雪降りて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 同じ院((白河天皇。[[s_chomonju475|475]]参照。))、鳥羽殿におはしましける時、昨日より雪降りて、今日一日降り暮らしたりける。夜半ばかりまでなほ降りければ、院起きさせ給ひて、備後守季通((藤原季通))が御前に臥したりけるに((「臥したりけるに」は底本「臥したりけるよ」。諸本により訂正。))、「雪はいくらほどたまりたるぞ。なほ降るかと見て参れ」と仰せられければ、「吹きためたる所は一尺に余りて候ふ。庭は八・九寸ばかり候ふ((「候ふ」は底本「に」。諸本により訂正。))」と申しければ、「ゆゆしき大雪にこそ。ただ今、尺に満ちなんず」と仰せられて、「近衛の舎人の近くゐたるやある。しかるべき近衛司の近きは誰かある」など、御気色つかせ給ひておはしましけるほどに、鐘の音しければ、「後夜(ごや)かな」と仰せられて、しばしありけるほどに、さうめきたる人の、はやばやとして参る音のしければ、「誰(た)そ、見て参れ」と仰せられければ、急ぎ出でて見れば、「淡路守盛長((源盛長))、殿下(てんが)((藤原師実))の御使として参りて候ふ。もつてのほかの大雪にてこそ候ふめれ。さだめて御覧候はん。ただ今参り候ふなり」と申させ給ひたりければ、御手をはたと打たせ給ひて、「さ思ひつること」とて、「いかがせんずる」と騒がせ給ひて、「殿上人・御随身のしかるへき者ども、『ただ今、急ぎ参れ』と召しにつかはせ」と仰せられて、やがて御装束四・五具取り出ださせ給ひて、「いづれをか召すべき」とて、御鬢(びん)かかせおはしまして、引きつくろひておはしますに、夜のしらじらと明くるほどに、殿下黒き馬に移し置きたるに奉りて、敦時((下毛野敦時))に口をさせて参らせ給ひたりければ、やがて出御ありて、馬場殿へ御幸ならせ給ひて、秋の山の方へ入らせ給ひけるに、くぼみたる所、雪の降り積みたるを知らせ給はで、殿下の御馬をうち入れさせ給ひたりければ、かいこづむ所にて、御随身敦時・有長、「穴あり」と申したりけるに、院還御の後、「関白の馬のつまづきたりつるを、随身かつかりやりたりつるこそ、おもしろかりつれ」と仰せごとありけり。 ===== 翻刻 ===== 同院鳥羽殿におはしましける時昨日より雪降て けふ一日ふりくらしたりける夜半はかりまてなを/s373r ふりけれは院おきさせ給て備後守季通か御 前に臥たりけるよ雪はいくらほとたまりたるそ猶 ふるかと見てまいれと仰られけれは吹ためたる所は一 尺にあまりて候庭は八九寸はかりにと申けれはゆゆ しき大雪にこそたたいま尺に満なんすと仰られて 近衛舎人のちかくゐたるやあるしかるへき近衛司の ちかきは誰かあるなと御気しきつかせ給ておはし ましける程に鐘のをとしけれは後夜かなと仰られ てしはしありける程にさうめきたる人のはやはやと してまいるをとのしけれはたそみてまいれと仰られ けれはいそき出てみれは淡路守盛長殿下の御使として/s373l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/373 まいりて候以外の大雪にてこそ候めれ定而御覧候はん只今 まいり候なりと申させ給たりけれは御手をはたと うたせ給てさおもひつる事とていかかせんするとさ はかせ給て殿上人御随身のしかるへき物とも只いま いそきまいれとめしにつかはせと仰られてやかて 御装束四五具取いたさせ給ていつれをかめす へきとて御鬢かかせおはしまして引つくろひて おはしますに夜のしらしらとあくるほとに殿下く ろき馬にうつしをきたるにたてまつりて敦時 に口をさせてまいらせ給たりけれはやかて出御 ありて馬場殿へ御幸ならせ給て秋の山のかた/s374r へいらせ給けるにくほみたる所雪のふりつみ たるをしらせ給はて殿下の御馬をうち入させ 給たりけれはかいこつむ所にて御随身敦時 有長穴ありと申たりけるに院還御の後関白 の馬のつまつきたりつるを随身かつかりやりたり つるこそおもしろかりつれと仰事ありけり/s374l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/374