[[index.html|古今著聞集]] 哀傷第二十一 ====== 468 後高倉院かくれさせ給ひて四十九日の御導師に聖覚法印参りたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 後高倉院((守貞親王))かくれさせ給ひて、四十九日の御導師に聖覚法印参りたりけるに、御仏事座々を重ねて、こと終りて罷り出でける。奉行人、進み寄りて、「七条院((守貞親王の母、藤原殖子))の御沙汰にて、臨時の御仏事あるべし。しばらく候はせ給へ」と言ひて、すなはち仏経取りくだしたりければ、聖覚、礼盤(らいばん)に上(のぼ)りて、恒例の仏経讃嘆果てて、結句に、「生きての別れを天外に尋ぬれば、蜀山の雲遥かに隔たれり。死しての悲しみを((「悲しみを」は底本「悲す」。諸本により訂正。))地下に求むれば、覇陵(はりよう)の水転(うた)た咽(むせ)ぶ。分段の習ひは懲り果てぬ。親ともならじ、子ともならじ。上界の望みはなほ深し」。わがためにも、人のためにも、ただこの句ばかりを言ひて、鐘を打ちたりける、とりもあへぬほどに、めでたくぞつらねたりける。 「生きての別れを天外に尋ぬれば、蜀山の雲遥かに隔たれる」といへる、隠岐の御所((後鳥羽上皇))の御事なり。かれもこれも、まことに悲しきことなり。前後相違の御追善、あはれ尽きがたきことなり。 ===== 翻刻 ===== 後高倉院かくれさせ給て四十九日の御導師に 聖覚法印まいりたりけるに御仏事座々をかさね/s365l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/365 て事をはりて罷出ける奉行人すすみよりて 七条院の御沙汰にて臨時の御仏事あるへししはらく 候はせ給へといひて則仏経とりくたしたりけれは 聖覚礼盤にのほりて恒例の仏経讃嘆はてて 結句に生ての別を天外に尋れは蜀山の雲遥 へたたれり死しての悲す地下に求れは覇陵の 水転咽分段の習はこりはてぬ親ともならし子 ともならし上界の望は猶ふかし我ためにも 人のためにも只此句はかりをいひて鐘をうちたり ける取もあへぬ程に目出くそつらねたりける生て の別を天外に尋れは蜀山の雲はるかに隔たれる/s366r といへる隠岐の御所の御事也かれもこれも誠にか なしき事也前後相違の御追善あはれつきかた き事也/s366l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/366