[[index.html|古今著聞集]] 偸盗第十九 ====== 441 大殿小殿とて聞こえある強盗の棟梁ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 大殿・小殿とて、聞こえある強盗の棟梁ありけり。大殿は後鳥羽院((後鳥羽天皇))の御時搦(から)められけり。 小殿、高倉判官章久がもとへ行きて言ひけるは、「日ごろ年ごろ搦めかねて、あなぐり求められ候ふ小殿と申す強盗こそ、思ふやうありて参りて候へ。はやく受け取らせ給へ」と言ふ。章久、まことしからず覚えながら、おろおろ子細を問へば、小殿いはく、「御不審候ふこと、もつともその謂(いは)れ候へども、まつ思し召し候へ。ただのしら人が強盗とみづから名乗りて、命をまかせ参らせて、何のせんか候ふべき」と言へば、げにもことわりにて、くはしく問答するに、小殿が言ふやう、「年ごろ西国の方(かた)にて海賊をし、東国にては山立(やまだち)をし、京都にては強盗をし、辺土にては引き剥ぎをして過ぎ候ひつるなり。かかる重罪の身を受け候ひぬれば、この世にてもやすき心候はず。夜もやすくも寝ず、昼((「昼」は底本「ひひ」。諸本により訂正。))も心うちくつろぐことなし。世の恐しく、人のつつましきこと、悲しき苦患(くげん)にて候ふなり。さても、一期ことなくてあるべき身にて候はず。つひには、さだめて搦め出だされて、恥をさらし、悲しき目をこそ見候はんずれば、人手にかからんよりは、心と参りて、かつは年ごろの罪をも報はんがために、頸(くび)を延べて参りて候ふなん」と言へば、章久あはれに覚えて、さうなくも受け取るべけれども、その儀なくして、答へけるは、「今は使庁の庁務停止(ちやうじ)したるなり。かつは聞きも及ぶらん((「及ぶらん」は底本「おたかふらん」。諸本により訂正。))、年ごろ造りおける籠(らう)((「籠」は底本「籠」に「楼イ」と傍書。)))ども、みなうちやぶりて、仏所に造りなどして、一向庁務をとどめて、後世のことを営むなり。徳大寺殿((藤原実基))に祗候(しこう)の源判官康仲((源康仲))こそ、当時ことに高名を立てんとする人なれ。かしこに行きて、この子細を言はば、さだめて悦び思はんずらん」と言へば、「さ候はば、御文を賜はり候ひて、源判官殿へ参り候はん」と言へば、「それはやすきことなり」とて、文書き取らせければ、すなはち持ちて、康仲がもとへ行きて、章久がもとにて言ひつるがごとくに言ひて、「もし万が一、命を生けて、召しも使はれ候はば、別の奉公には、余党その数多く候ふを、一々に搦めさせ参らせん」と言へば、康仲、興あることに思ひて、受け取りて使ひけり。 給物(きふもつ)三十石を取らせて、朝夕召し使ふに、こと((底本「こと」なし。諸本により補う。))おきてかひがひしく大切のことども多かりければ、大納言家((藤原実基))に、このやうを内々申し入れたりけるに、「いと興あることにこそ。さやうの者は、なかなかさるかたもあるなり。われに得させよ。召し使はん」と仰せられければ、参らせてけり。侍(さぶら)ひ許されて召し使ひけり。 康仲が恩((「恩」は底本「息」。諸本により訂正。))の上に、五十石の給物を賜はせたりければ、小殿喜びて、「今は、かくて一期身やすくてやみなんずれば、思ふこと候はず。祗候の間には、いかにも御所中ならびに御近辺には、狼藉(らうぜき)のことあらすまじく候ふ」とて、一向に御宿直(とのゐ)して奉公をいたしければ、まことにかひがひしく、そのあたりには夜の恐れなかりけり。 かかるほどに、真木島の十郎といふ強盗の張本(ちやうぼん)あり。年ごろ、使庁・武家うかがへども、いかにも搦め得ざりけるを、康仲、この小殿に言ふやう、「なんぢがはじめよりの約束、いつはるところなくは、かの十郎搦めさせよ」と言ふ。小殿、すなはち承伏しにけり。 小殿がいはく、「十郎はゆゆしきつはものなり。たやすく搦めらるべからず。すくよか((「すくよか」は底本「すくにか」。諸本により訂正。))ならん者を三十余人ばかり給はりてむかひ侍るべし、また何にても((「何にても」は底本「なにても」。諸本により訂正。))贓物(ぞうもつ)一つ賜はらん」と言へば、言ふがごとくに沙汰して、鞦(しりがい)一かけを取らせてけり。件(くだん)の鞦をふところに入れて、三十余人の輩(ともがら)あひ具して、真木の島へ向ひぬ。 逃れ逃げんずる道々を教へて、みなそこそこに分かち立てつ。続きて入らんずる者など、その器量をはからひて定めつつ、近辺に隠し置きつ。さて、「おのが身一人入りて、抱(いだ)きてえい声((「えい声」は底本「はいこゑ」。諸本により訂正。))を出ださん時、続きて早く入るべし」と言ひ教へて、日暮れて行きぬ。 すなはち十郎が家の門を、ほとほとと叩くに、十郎、内より、「誰(た)そ」と問ひければ、「平六が参りたるぞ。開け給へ」と言へば、十郎、何心なく、小袖にかけ直垂にて、なえ烏帽子ひき入れて、その用意もなくて出でたり。小殿、ふところより鞦を取り出でて、「これ預け参らせん。ただ今ほかへまかり通るに」と言ふ。十郎、鞦を取りて、「いづこなりける鞦ぞ」と問へは、「夜部(よべ)遊びをしてまうけたるなり」と答へて、通りなんとしけるを、十郎、「さるにても入り給へ。酒勧めん」と言へば、「よきこと」と思ひて、内へ入りぬ。 見れば、また男もなし。女の一人ありつるをば、酒たづねにやりて、ただ走り向ひゐたり。案じすましたることなれば、向ひざまにをどりかかり、抱(いだ)きてけり。すなはち、「得たりや、得たりや」と大声を出だす時、まうけたる者ども、つづきて入りて、やすく搦めてけり。十郎、「あはれ、やすからぬものかな。腹白き((「腹白き」、底本ママ。諸本「腹黒き」。))虫に食らはれぬ」とぞ言ひける。 すなはち康仲が家へ具して行きたれば、康仲喜び思ふことかぎりなし。康仲が第一の高名にて、ゆゆしく言ひののしられけるは、しかしなから小殿が忠節なり。 この小殿平六は、すべてさま悪しき賊とも覚えず。ことにおきてなだらかに、見目(みめ)・ことがらも清げにて、かひがひしく、使ひよかりければ、大納言家にも大切の者に思して、一向宿直(とのゐ)に頼み給へるのみにあらず、何事にも召し使ひけり。 ある時、とみのことありて、宇治布十段いるべかりけるに、ただ今は戌の刻ばかりなり、この用は明日巳の刻以前のことなり。沙汰し出だしかたかりけるを、「さるにても、宇治へ尋ねてこそ聞かめ」とて、用途を持たせてつかはしけるに、小殿を兵士のために添へてつかはしけるに、小殿、竹矢籠(たかしこ)かき負ひて、真弓うちかたけて、平足駄(ひらあしだ)さし履きて行きけり。用途持たる者は、高名の早足の力者を選び定められたりけるが、この小殿が歩むに、「いかに送れじ」と汗かきけれどかなわず。遅かりければ、七条河原にて小殿言ふやう、「その歩みやうにては、急ぎの御大事欠けぬべし。その用途賜(た)べ。われ一人持て行きて、布をば取りて持て参らん」と言ふを、力者、疑ひをなして、「御身は兵士のために添へられたるばかりなり。われこそ承りて侍ることなれば、手はなち侍らんことかなはじ」とて、取らせざりければ、小殿うち笑ひて、「疑ひをなしてかくはのたまふか。われ、その用途を取らん((「取らん」は底本「とん」。諸本により訂正。))と思はば、なんぢ一人安穏(あんをん)にてあらせてんや((「あらせてんや」は底本「あらをてんや」。諸本により訂正))。なんぢ、われにたてあはん、心おさなきことな言ひそ。ただその用途おこせよ。とにもかくにも、御事を欠かじとて、かくは言ふぞ」と言へば、力者、理に折れて、用途を与へてけり。「なんぢはこれよりとく徳大寺殿へ参りて、このよしを申すべし」とてやりぬ。 力者、七条河原より帰り参るに、子の始めばかりに参り着きて、このやう申せば、「こはいかに」と、かたへは疑ひ思ひて、あさみ騒ぎ((「騒ぎ」は底本「たはき」。諸本により訂正。))などしける折に、小殿、布持ちて参りたり。上下、驚きあさむことかぎりなし。鳥の飛ぶとも、いかでかこれほど早きことは侍るべき。七条河原より帰りたる使と、ただ同じほどに走り帰りたること、恐しきことなり。人の振舞ひとも覚えず。 すべて山を走り水に入りて振舞へるさま、凡夫(ぼんぶ)の所為(しよゐ)にはあらざりけり。昔は八幡((石清水八幡宮。底本「八○」に「幡歟」と注。))の児にて侍りけり。篳篥(ひちりき)なと優(いう)に吹きて、世おぼえも侍りけるが、所領相論のことありて、叔父を殺してけり。それより八幡にも安堵(あんど)せずなりて、かかる身となりにけるとぞ((「ぞ」は底本「て」。諸本により訂正。))。徳大寺に祗候の時も篳篥つかうまつりて、内々の講演などには吹かせられけるとぞ。 この小殿が語りけるは、「若くより武勇をしてみるに、まさりたる者も少なく候ひけり。ただ一人ぞ候ひし。大殿と申し候ひし強盗と同宿して、山崎に候ひし時、夜の白々(しらじら)と明けわたるほどに、あやしく犬の吠え候ひしを、われは何とも思ひもとがめず候ひしを、大殿が聞きとがめて、『や、給へ、平六。この犬の吠えやうは聞きとがめ給はぬか。あやしきさまなり。出でて見給へかし』と申し候ひし時に、弓矢かきつけて、出でて見侍りしに、白き直垂に引き入れ烏帽子したる男、下人両三人具して通るあり。その前(さき)に、たけたちするたかに((意味不明。誤写があるか。))、いとすくやかげなる法師、物具(もののぐ)はせで、ただ大きなる撮棒(さいぼう)ばかり持ちたる、通り侍りぬ。 この様を帰りて大殿に語れば、『あはれ、さやうの者こそ怪しけれ。行く方をば見入り給へるか』と言へば、知らざるよしを答ふれば、『わ殿を頼み申して同宿したるは、かやうのときの料(れう)なり。などか見入れ給はぬ』と言へば、その言葉につきて、また立ち出でて見るに、大殿が言ふにたがはず、『はやく通りぬ』と思ふ法師、この家の門に向きて立ちたり。『はや、ことあり』と思ひて、矢をうちくはせて、よく引きて、中に当てて放ちたるに、少しも外るべしとも思はぬに、踊り上りて、矢を下に六寸ばかり避けて通しつ。射られて、やがて跳ねてかかるに、いかにもまた矢つぎすべしとも覚えで、竹折戸の内へ走り入り侍りしを、大殿さる心はやきものにて、ことありと悟りて、中戸(なかど)に太刀を抜きて、『入らん者を切らん』と待ちて立ちたり。平六が射るを、『とく入れ』と手をあがき候ひしかば、はやく入り候ひしに、この法師つづきて入り候ふを、大殿、抜きまうけたる太刀にて、よく切り侍りぬと見え候ひしほどに、法師、とりもあへず撮棒にて合はせて、すなはち大殿が額を打ちて、うつぶしに打ち伏せ候ひぬ。 それを見候ひしに、『立ち帰りて向ひ合はん』と思ひ候しかども、いかにもたてあひぬべき心地もせず候ひしかば、後ろより逃げ出でて、河に入りて、水の底をくぐりて八幡へまかりて、そのたびは助かりて候ひき。やがて大勢つづき入りて、大殿は搦め捕られて候ひしなり。一期にそれほど手はやく、心剛(かう)なるもの見候はず」となん語りけり。 ===== 翻刻 ===== 大殿小殿とてきこえある強盗の棟梁ありけり 大殿は後鳥羽院の御ときからめられけり小殿高倉 判官章久かもとへ行ていひけるは日来年来 からめかねてあなくりもとめられ候小殿と申強 盗こそおもふ様ありてまいりて候へはやくうけとら せ給へといふ章久まことしからすおほえなから/s338l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/338 おろおろ子細をとへは小殿いはく御不審候事最 其謂候へともまつおほしめし候へたたのしら人か強 盗とみつから名乗て命をまかせまいらせて なにのせんか候へきといへはけにもことはりにて くわしく問答するに小殿かいふやう年来西国 のかたにて海賊をし東国にては山立をし 京都にては強盗をし辺土にてはひきはきを してすき候つるなりかかる重罪の身をうけ 候ぬれはこの世にてもやすき心候はす夜もやすく もねすひひも心うちくつろく事なし世のおそ ろしく人のつつましきことかなしき苦患にて候/s339r なりさても一期ことなくてあるへき身にて候はす つゐにはさためてからめいたされて恥をさらし かなしき目をこそ見候はんすれは人手にかからん よりは心とまいりてかつは年来のつみをもむく はんかために頸をのへてまいりて候なんといへは 章久あはれにおほえて左右なくもうけとるへけれ とも其儀なくして答けるはいまは使庁の 庁務停止したるなりかつはききもおたかふらん年 来つくりをける籠(楼イ)ともみなうちやふりて仏 所につくりなとして一向庁務をととめて後 世のことをいとなむなり徳大寺殿に祗候の/s339l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/339 源判官康仲こそ当時ことに高名をたてん とする人なれかしこに行てこの子細をいはは さためて悦おもはんすらんといへはさ候はは御ふみ を給はり候て源判官殿へまいり候はんといへは それはやすきことなりとて文かきとらせけれ は則もちて康仲かもとへゆきて章久かもと にていひつるかことくにいひてもし万か一命を いけてめしもつかはれ候はは別の奉公には余党其 数おほく候を一々にからめさせまいらせんといへは 康仲興ある事におもひてうけとりてつかひ けり給物三十石をとらせて朝夕めしつかふ/s340r にをきてかひかひしく大切の事ともおほかり けれは大納言家にこのやうを内々申入た りけるにいと興ある事にこそさ様のものは 中々さるかたもあるなり我にえさせよめしつか はんと仰られけれはまいらせてけり侍ゆるされて 召仕けり康仲か息のうへに五十石の給物を たまはせたりけれは小殿よろこひて今はかくて 一期身やすくてやみなんすれはおもふこと候はす 祗候のあいたにはいかにも御所中并に御近辺 には狼藉のことあらすましく候とて一向に御との ゐして奉公をいたしけれは誠にかひかひしく其のあたり/s340l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/340 には夜の恐れなかりけりかかる程に真木嶋の十 郎といふ強盗の張本あり年比使庁武家 うかかへともいかにもからめえさりけるを康仲こ の小殿に云様汝かはしめよりの約束いつは る所なくは彼十郎からめさせよといふ小殿す なはち承伏しにけり小殿かいはく十郎はゆゆ しきつは物なりたやすくからめらるへからす すくにかならんものを卅餘人はかりたまはりて むかひ侍へし又なにても臓物を一たまはらん といへはいふかことくにさたして鞦一かけをとら せてけり件鞦をふところに入て卅余人の/s341r 輩あひくしてまきの嶋へむかひぬのかれにけんする 道々をおしへてみなそこそこにわかちたてつつつ きていらんするものなと其器量をはからひて定 つつ近辺にかくしをきつさておのか身ひとり入 ていたきてはいこゑをいたさん時つつきてはやく 入へしといひおしへて日くれて行ぬすなはち 十郎か家の門をほとほととたたくに十 郎うちよりたそととひけれは平六かま いりたるそあけたまへといへは十郎なに 心なく小袖にかけ直垂にてなへ烏帽子ひき 入てその用意もなくていてたり小殿ふところ/s341l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/341 より鞦をとりいててこれあつけまいらせん只今 ほかへまかりとをるにといふ十郎鞦をとり ていつこなりける鞦そととへは夜部あそひ をしてまうけたるなりとこたへてとをりなんと しけるを十郎さるにても入たまへ酒すすめんと いへはよきことと思て内へ入ぬみれは又男もなし 女のひとりありつるをは酒たつねにやりて たたはしりむかひ居たり案しすましたる事 なれはむかひさまにをとりかかりいたきてけり すなはちえたりやえたりやと大声をいたす時ま うけたるものともつつきていりてやすくからめ/s342r てけり十郎あはれやすからぬ物かなはらしろき 虫にくらはれぬとそいひける即康仲か 家へくしてゆきたれは康仲よろこひおもふこ とかきりなし康仲か第一の高名にてゆゆし くいひののしられけるはしかしなから小殿か忠 節也この小殿平六はすへてさま悪賊とも おほえすことにをきてなたらかにみめことから もきよけにてかひかひしくつかひよかりけ れは大納言家にも大切のものにおほして 一向とのゐにたのみ給へるのみにあらすなに 事にもめしつかひけり或時とみのことあり/s342l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/342 て宇治布十段いるへかりけるに只今は戌 剋はかりなりこの用は明日巳剋以前の 事也さたしいたしかたかりけるをさるにても 宇治へたつねてこそきかめとて用途をも たせてつかはしけるに小殿を兵士のために そへてつかはしけるに小殿たかしこかきを ひて真弓うちかたけてひらあしたさしは きて行けり用途もたる物は高名のはや足 の力者をえらひさためられたりけるか此小殿 かあゆむにいかにをくれしとあせかきけれとか なわすおそかりけれは七条河原にて小殿いふ/s343r やうそのあゆみやうにてはいそきの御大事か けぬへし其用途たへわれひとりもて行て 布をはとりてもてまいらんといふを力者うた かひをなして御身は兵士のためにそへられた るはかり也われこそうけたまはりて侍こと なれは手はなち侍らん事かなはしとてとら せさりけれは小殿うちわらひてうたかひをなし てかくはのたまふかわれその用途をとんと おもはは汝一人あんおんにてあらをてんや汝 われにたてあはん心おさなき事ないひ そたたその用途をこせよとにもかくにも/s343l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/343 御事をかかしとてかくはいふそといへは力者 理におれて用途をあたへてけり汝はこ れよりとく徳大寺殿へまいりてこのよしを 申へしとてやりぬ力者七条河原より帰りま いるに子の始はかりにまいりつきてこのやう 申せはこはいかにとかたへはうたかひおもひて あさみたはきなとしけるおりに小殿布もち てまいりたり上下おとろきあさむことかきり なし鳥のとふともいかてかこれ程はやき事 は侍へき七条河原よりかへりたる使と たたおなし程に走帰りたることおそろ/s344r しきことなり人のふるまひともおほえす すへて山をはしり水に入てふるまへる さま凡夫の所為にはあらさりけり昔は八○(幡歟) の児にて侍けり篳篥なと優にふきて世 おほえも侍けるか所領相論のことありて叔父 をころしてけり其より八幡にも安堵せす なりてかかる身と成にけるとて徳大寺に祗 候の時も篳篥つかうまつりて内々の講演 なとにはふかせられけるとそ此小殿か語けるはわ かくより武勇をしてみるにまさりたる物も すくなく候けりたた一人そ候し大殿と申/s344l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/344 候し強盗と同宿して山崎に候し時夜の しらしらとあけわたる程にあやしく犬のほへ 候しをわれはなにともおもひもとかめす候し を大殿かききとかめてやたまへ平六此犬の ほえやうはききとかめ給はぬかあやしきさま なりいててみ給へかしと申候し時に弓矢かき つけていててみ侍しにしろき直垂にひき いれ烏帽子したる男下人両三人くしてとを るあり其さきにたけたちするたかにいとすく やかけなる法師もののくはせてたた大なるさ いはうはかりもちたるとをり侍ぬこの様を/s345r かへりて大殿にかたれはあはれさやうの物こそ あやしけれ行かたをはみ入給るかといへはしら さるよしをこたふれはわ殿をたのみ申て同宿 したるはかやうのときの料也なとかみいれたま はぬといへはそのこと葉につきて又立出てみる に大殿かいふにたかはすはやくとをりぬと おもふ法師この家の門に向てたちたり はやことありとおもひて矢をうちくはせて よく引て中にあててはなちたるにすこし もはつるへしともおもはぬにおとりあかり て矢をしたに六寸はかりさけてとをしつ/s345l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/345 いられてやかてはねてかかるにいかにも又箭つ きすへしともおほえて竹おりとのうち へはしり入侍しを大殿さる心はやきもの にてことありとさとりて中戸に太刀を ぬきていらんものをきらんとまちてたち たり平六かいるをとく入と手をあかき 候しかははやくいり候しにこの法しつつきて 入候を大殿ぬきまうけたる太刀にてよく きり侍ぬと見え候し程に法師とりもあへ すさいはうにてあはせて則大殿か額をうち てうつふしに打ふせ候ぬそれを見候しに立/s346r 帰てむかひあはんと思候しかともいかにもた てあひぬへき心ちもせす候しかはうしろより 逃出て河に入て水の底をくくりて八幡 へまかりてそのたひはたすかりて候きやかて 大勢つつき入て大殿はからめとられて候し 也一期にそれ程手はやく心かうなるもの み候はすとなんかたりけり/s346l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/346