[[index.html|古今著聞集]] 博奕第十八 ====== 424 後鳥羽院の御時伊予国をふてらの島といふ所に天竺の冠者といふ者ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 後鳥羽院((後鳥羽上皇))の御時、伊予国をふてらの島といふ所に、「天竺の冠者」といふ者ありけり。件(くだん)の島に山あり。その山の上に家を造りて住みけり。かしこに、また祠(ほこら)をかまへて、その内に母が死にたるを、腹のうちの物をとりすててほしかためてうへをうるしにて塗ていはひて置きたりけり。山のすそに八間(ま)の屋を作りて、拝殿と名付けて、八乙女(やおとめ)以下(いげ)、神楽男(かぐらをとこ)などをすゑたりけり。この天竺冠者は、空をかけり、水の面を走るよし聞こえければ、当国・隣国より人の集りきほふこと、おびたたしかりけり。 かの冠者、赤取染(あかとりぞめ)の水干に夏毛の行縢(むかばき)をはきて、重籐(しげとう)の弓に野矢(のや)負ひて、竹笠を着たりけり。月毛の馬の小さきに乗りて、毎日山の上の家より下りければ、八間の仮屋の者ども、鼓を叩き、歌を唱へてはやしければ、馬やうやう降り下りて、仮屋の板敷の上に上(のぼ)りて、さまざまに巡り踊りて、げにも目を驚(おどろ)かしけり。参りの人のそこら集まれる中に、あるいは目しひたるもあり、あるいは腰ゐたるもあり。この輩(ともがら)、天竺の冠者に財を与へて、その痛む所を祈れば、冠者、馬より降りて、さまざまの託宣して、腰折れたる者をば足にて踏みなどしければ、たちまちに治りけり。目しひたる者をば、なでなどしければ、見ゆるよし言ひけり。 さるにつけて、ますますきほひ集まることはかりなし。衣裳を脱ぎ、太刀をささげ、さならぬ資材、いくらといふことなく投げけること、おびたたしかりけり。冠者みづから、「われは親王なり」と称して、鳥居を立てて、額を「親王宮」と書きて打ちたりけり。 このことを院聞こし召されて、からめ捕らせられけり。神泉((神泉苑))に御幸なりて、件の冠者を召しすゑて、「なんぢ((底本「なんぢ」なし。諸本により補う。))、神通の者にて、空を飛び水の面を走るなるに、この池の面走るべし」とて、池につけられたりけるに、あへてその儀なし。「馬によく乗りて、山の峰よりはしり下すなるに」とて、あがり馬に乗せられたるに、一たまりもせざりけり。「大力の聞こえあり」とて、賀茂神主能久((賀茂能久))と相撲を取らせられけるに、能久、取りて池の面へ七・八尺ばかり投げ捨てたりければ、水に溺れて浮き上がりけるを、大引目(おほひきめ)にて射させられけり。二位法印、また鉄拳(かなこぼし)にて打たれなどせられけり。かく責められて後、獄定(ごくぢやう)せられけるとぞ。 この男、もと伊予国の者なりけり。高名の古博打(ふるばくち)にて、打ちほうけて、すべて負け、博打八十余人同意して、諸国に分かれゐて、天竺冠者がかく厳重なるよしを人に語り、あるいは人にも言はせてわたりたりけるが、あまりにこと過ぎて、都まで聞こえて、かかる目にあひにけり。 ===== 翻刻 ===== 後鳥羽院御時伊与国をふてらの嶋といふ所に天 竺の冠者といふものありけり件嶋に山ありその/s321l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/321 山のうへに家をつくりてすみけりかしこに又ほこら をかまへて其内に母か死たるを腹のうちの物をと りすててほしかためてうへをうるしにて塗ていはひ てをきたりけり山のすそに八間の屋をつくりて 拝殿と名付て八乙女以下かくらおとこなとをす へたりけりこの天竺冠者はそらをかけり水の 面をはしるよしきこえけれは当国隣国より人 のあつまりきほふ事をひたたしかりけりかの冠 者あかとりそめの水干に夏毛のむかはきをはきて しけとうの弓にのやをひて竹笠をきたりけり 月毛の馬のちいさきに乗て毎日山のうへの家より/s322r くたりけれは八間のかり屋のものとも鼓をたたき 哥をとなへてはやしけれは馬やうやうおりくたりて かり屋の板敷のうへにのほりてさまさまにめくり おとりてけにも目をおとろかしけりまいりの人のそこ らあつまれる中に或は目しゐたるもあり或は腰 ゐたるもありこの輩天竺冠者に財をあたへてその いたむ所をいのれは冠者馬よりおりてさまさまの 託宣して腰おれたる物をは足にてふみなとしけれは 忽になをりけり目しゐたるものをはなてなとしけれは みゆるよしいひけりさるにつけてますますきをひ あつまることはかりなし衣裳をぬき太刀をささ/s322l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/322 けさならぬ資材いくらといふことなくなけける事 をひたたしかりけり冠者みつから我は親王なりと 称して鳥居をたてて額を親王宮とかきてうちた りけり此事を院きこしめされてからめとらせら れけり神泉に御幸なりて件の冠者をめし すへて神通の物にて空をとひ水の面をはしる なるにこの池の面走へしとて池につけられたり けるにあへて其儀なし馬によく乗て山のみね よりはしりくたすなるにとてあかり馬にのせられ たるに一たまりもせさりけり大力のきこえありとて 賀茂神主能久と相撲をとらせられけるに能久とり/s323r て池の面へ七八尺はかりなけすてたりけれは水にお ほれて浮あかりけるをおほ引目にていさせられけり 二位法印又かなこほしにてうたれなとせられけり かくせめられてのち獄定せられけるとそこの男 もと伊与国の物なりけり高名のふるはくちにて うちほうけてすへてまけ博打八十余人同意し て諸国に分ゐて天竺冠者かかく厳重なるよし を人にかたり或は人にもいはせてわたりたりけるかあま りにことすきて都まてきこえてかかる目にあひに けり/s323l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/323