[[index.html|古今著聞集]] 博奕第十八 ====== 423 花山院の右の大臣の時侍ども七半といふことを好みて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 花山院の右の大臣(おとど)(忠経公)((藤原忠経))の時、侍ども七半といふことを好みて、ありとしある者ども、夜昼((「夜昼」は底本「よりひる」。諸本により訂正。))おびたたしく打ちけり。大臣、制し給へども用ゐず。その中に、いと貧しき恪勤者(かくごんしや)一人あり。持ちたる物なければ、その人数に漏れて打たざりけり。大納言定能卿((藤原定能))の家の雑仕(ざふし)を妻にて、夜々は仁和寺へ通ひけり。 ある夜、このぬし、妻と合宿したりけるが、大息うちつきて、寝も入らずして、夜もすがら物を思ひたる気色なり。妻、怪しみて、その心を問ひけれども、「何事もなきぞ。ただ身のほどの今さら思ひ知られて、寝も入らぬぞ」とばかり言ひけれど、「いかにも、ただごとにあらず」と思ひて、しひて問ひければ、その時、男の言ふやう、「げには何事もなし。今さら身のほどの憂きと言ふは、このほど花山院殿の殿ばら、若きも老いたるも七半を打ちて、毎日にことして、心をゆかし遊びあひたるに、われ、その中にありながら、一文半銭だにも持たねば、その人数に連なることなし。おほかたそのゆくへ知らぬ身なれば、このことの好(この)もしう打ちたきにては、さらになし。ただ、これほどにもてなし興じあへるに、身の力なくて、そこばく多かる殿ばらの中に、われ一人よそなるが、思ひつづくれば、『これならぬ、まして大事にもさぞかし』と思ふに、今さだ身のほどうたてくて、『かくては、何しに人にまじるらん』と思ふなり」とうちくどき言へば、妻うち泣きて、「のたまはすること、もつともそのいはれあり。まことに((「まことに」は底本「まことて」。諸本により訂正。))さることなり。人にまじはる習ひは、良きことにも、悪しきことにも、そのことに漏るるは口惜しきなり。明けん夜を待ち給へ。わらは、かまへて奔走せん」と言へば、「同じ心に思ひけるこそ。女の習ひは、何事をば言はず、博打(ばくち)することをば腹立つことなるに、ありがたくものたまふものかな。さりながらも、心にくきことなし。何として励まんとて、かくはのたまふぞ」と言へば、妻、「何しにそのことをば言ふぞ。今明けんを待て」と言ふ。 さるほどに夜明けにければ、おのれが一つ着たりける衣(きぬ)を脱ぎて、人の銭を五百借りてけり。男のもとに持て来て言ふやう、「この銭にて心ゆかし給へ。人の十・二十貫にて打たんも、またこの少分の物にて打たんも、心をやることは同じことなり。わが心にまたおもしろしとも思はぬとなれば、あながちに多く打ち入れてもせんなし」と言へば、男、ありがたく嬉しく覚えて、その朝(あした)、やがてこの銭懐(ふところ)に引き入れて、殿へ持ちて参りぬ。 例のことなれば、集りてうちののしる中にまじりぬ。心中に思ふやう、「すべてこのこと、いまだせぬことなり。朝夕見聞けども、われと手を下ろしてしたることなければ、賽(さい)の目の勝ち負けもはかばかしく((「はかばかしく」は底本「はるはるしく」。諸本により訂正。))知らず。ただ人にまかせん」と思ひて、かたへの者にそのよしを言へば、「さしもはやりたることに、ただ一人まじり給はざりつれば、賢人だてかと思ひて侍りつるに、いかにしてかくは」など言へば、「そのことに候ふ。今日より加はり候ふべし」と答へて、「この銭、わづかに五百なれば、あまたたびに出ださんも見苦し。ただ一度(ひとたび)に押し出だして、うち取られなば、さてこそあらめ」と思ひて、よきほど続きて回る所に押し出だしてかきたりければ、はやくかきおほせて。一貫になりぬ。 「われはいまだ一度も知り候はねば、胴(どう)をば人に譲り申し候はん」とて、「まはらん所をかき落とさん」と思ひて、またよきほどに一貫を押し出だしてかくに、またかきおほせて、二貫になりぬ。そのとき思ふやう、「五百をば取りはなちて、元(もと)を失なはで妻に返し取らせん」と思ひて、懐(ふところ)に収めてけり。今一貫五百をもて、「これは思ひのほかのものなり。思ふさまにせん」と思ひて、また押し出だしたるに、かきおほせて三貫になりにけり。 その後は、あるいは一貫二貫、よき程よき程に押し出だすに、おほやうはかきおほせて、三十余貫になりにけり。「この上は、今は手荒に振舞はじ」と思ひて、よきほどにして、「しばし休み候はん」とて、三十余貫の銭取りて、退きにけり。傍輩(はうばい)ども、女牛に腹突かれたる心地してありけれど、「今かく飼ひつけて、後をこそ」など思ひゐたり。 さるほどに、このぬし、その夜やがて仁和寺の妻がもとへ、この銭を持たせて行きにけり。次の日一日、家にて妻に言ひ合はせて、ゆゆしくことして、長櫃(ながびつ)の新しき両三合たづねて、まことにきらきらしく仕立てて、第二日の朝とくかかせて参りたり。まづ起請文(きしやうもん)一紙を書きて侍の柱に押してけり。その起請文に書くやう、「今日以後、長く博打(ばくち)つかまつるべからず。過ぎにし方もつかうまつらぬことなれど、諸衆の御供して、このたび初めてこのことをつかうまつりぬ。自今以後、もしまたかやうのことつかうまつらば、現当むなしき身となるべし」と書きて押したりけり。傍輩ども、かたへはやすからぬことに言ひ、かたへは感ずるもありけり。 こと果てて妻がもとへ行きて言ふやう、「今三十貫あり。十貫をばなんぢに取らせん。かくまうけたる、しかしながらなんぢが恩なれば、すべからくみな取らすべけれども、われすでに齢(よはひ)たけて、残りの年いくばくならず。年ごろ出家の志あれども、一日の時料(ときれう)((斎料に同じ。))の蓄へなし。これに思ひわづらひつるなり。この二十貫の銭をもて時料にして、念仏申して、後生助からんと思ふなり。年ごろの心ざし忘るべからず。厭(いと)ひ給はんまでは、時々は参りて見奉るべし。また、破れ衣浄むることなどは、とぶらひ給へかし」と言へば、妻。「かへすがへすめでたく思ひとり給ひたり。まことにこの世は常ならねば、さやうに思ひとり給へること、わがためも嬉しきことなり」とて、許してければ、喜びてすなはち出家を遂げて、二十貫の銭を、まづ十貫を持ちて、四条の町に至りぬ。 ある小家に至りて言ふやう、「これ十貫の銭あり。奉らん。われを一月に十五日、この家に昼ばかり宿して、そのほど一日に二度の時料を、この銭にてして給へ。さて、用途尽きなん後は、とどめ給へ」と言へば、家の主(あるじ)、「よきこと」と思ひて、ことうけしてけり。「かく商ひし給ふ所なれば、家狭(せば)くて所なし。屋の上にゐたらんはいかに」と言へば、「それは心にまかせ給へ」と言へば、悦びて家の上に上りて、下(しも)見下げて、世の人の騒ぎ走(わし)るさまをみて、世間の無常を悟りて、念仏して上(かみ)十五日を過ぐしけり。いま十貫を持ちて、また七条の町に行きて、この定(ぢやう)にして、下(しも)十五日を過ぐしけり。 さるほどに、念仏の功積もりて、運心年を送りければ、在地の者ども貴みて、かつは夢なども見たりけるにや、面々に帰依して、「今日の時料をば、われ沙汰せん」「われ沙汰せん」と争ひ結縁しければ、預けたりつる両所の十貫銭もことごとくもいらず、家の主の所得になりにけり。 かくて往生の期近くなりにければ、かねてその期を知りて、仁和寺の妻が家に行き向ひて、いとなやむこともなくして、正念(しやうねん)に住して、高声(かうしやう)念仏おこたらず、端座合掌して終りにけり。善知識は大きなる因縁なれば、この妻はゆゆしき善知識かな。これも阿弥陀如来の御方便にや。 ===== 翻刻 ===== 花山院右(忠経公)おととのとき侍共七半といふ事を好て ありとしある物ともよりひるおひたたしく打けりおとと せいしたまへとももちゐす其中にいとまつしき挌勤 者一人ありもちたる物なけれはその人数にもれて うたさりけり大納言定能卿の家の雑仕を妻にて/s316l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/316 夜々は仁和寺へかよひけり或夜このぬし妻と合宿した りけるか大息うちつきてねもいらすして夜もすから物 をおもひたるけしきなり妻あやしみて其心をとひ けれともなにこともなきそたた身の程の今更思しら れてねもいらぬそとはかりいひけれといかにもたたことに あらすと思てしゐてとひけれは其時男の云様け にはなに事もなし今更身の程のうきといふは此程 花山院殿の殿原わかきも老たるも七半をうち て毎日にことして心をゆかしあそひあひたる にわれ其中にありなから一文半銭たにももたね は其人数につらなることなし大かたそのゆくゑしらぬ/s317r 身なれはこの事のこのもしう打たきにては更に なしたたこれ程にもてなし興しあへるに身の力な くてそこはくおほかる殿原の中に我ひとりよそなる かおもひつつくれはこれならぬまして大事にもさそかし とおもふに今更身の程うたてくてかくてはなにしに 人にましるらんとおもふなりとうちくときいへは妻 うちなきてのたまはすること尤其いはれありま ことてさる事なり人にましはるならひはよき事 にもあしき事にも其ことにもるるは口惜きなり あけん夜をまち給へわらはかまへて奔走せんと いへはをなし心に思けるこそ女のならひはなにことをは/s317l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/317 いはす博打することをははら立ことなるにありかたくもの たまふ物かなさりなからも心にくきことなしなにと してはけまんとてかくはのたまふそといへは妻なにし に其事をはいふそいまあけんをまてといふさる程に 夜あけにけれはおのれか一きたりける衣をぬきて 人の銭を五百かりてけり男のもとにもてきていふ 様この銭にて心ゆかし給へ人の十廿貫にてうたん も又此少分の物にてうたんも心をやることはおなし ことなりわか心に又おもしろしともおもはぬ事なれ はあなかちにおほくうち入てもせんなしといへは 男ありかたくうれしく覚てそのあしたやかてこの/s318r 銭ふところにひき入て殿へもちてまいりぬ例の ことなれはあつまりてうちののしる中にましりぬ心中に おもふ様すへて此事いまたせぬ事也あさゆふ見 きけともわれと手をおろしてしたる事なけれは さいの目のかちまけもはるはるしくしらすたた人にまか せんと思てかたへのものに其由をいへはさしもはやり たることにたたひとりましりたまはさりつれは賢人 たてかとおもひて侍つるにいかにしてかくはなといへは そのことに候今日よりくははり候へしとこたへてこの 銭わつかに五百なれはあまたたひにいたさんもみくるし たた一度にをし出してうちとられなはさてこそあら/s318l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/318 めと思てよき程つつきてまはる所にをし出してかき たりけれははやくかきおほせて一貫になりぬ我はい また一度もしり候はねはとうをは人にゆつり申候はん とてまはらん所をかきおとさんと思て又よき程に 一貫ををし出してかくに又かきおほせて二貫にな りぬそのときおもふ様五百をはとりはなちても とをうしなはて妻に返しとらせんとおもひてふ ところにおさめてけり今一貫五百をもてこれは思 のほかの物なりおもふさまにせんと思て又をし 出したるにかきおほせて三貫に成にけりそのの ちは或は一貫二貫よき程よき程にをしいたすにおほ/s319r やうはかきおほせて卅餘貫になりにけりこの上は今は 手あらに振まはしとおもひてよき程にしてしはし やすみ候はんとて卅余貫の銭とりてしりそきにけり 傍輩とも女牛に腹つかれたる心地してありけれ といまかくかひつけてのちをこそなと思ゐたり さる程にこのぬしその夜やかて仁和寺の妻かもとへ この銭をもたせて行にけり次日一日家にて妻に いひあはせてゆゆしくことして長櫃のあたらしき両 三合たつねてまことにきらきらしくしたてて第二日の 朝とくかかせてまいりたり先起請文一紙をかきて 侍の柱にをしてけり其起請文にかくやう今日/s319l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/319 以後なかく博打つかまつるへからすすきにしかたもつかう まつらぬことなれと諸衆の御共してこのたひはし めてこの事をつかうまつりぬ自今以後もし又か様 のことつかうまつらは現当むなしき身となるへし とかきてをしたりけり傍輩共かたへはやすからぬことに いひかたへは感するもありけりことはてて妻かも とへ行ていふやう今卅貫あり十貫をは汝にとらせん かくまうけたるしかしなから汝か恩なれはすへからく みなとらすへけれともわれすてによはひたけてのこ りのとしいくはくならすとし比出家の志あれとも 一日の時料のたくはへなしこれに思わつらひつるなり/s320r 此廿貫の銭をもて時料にして念仏申て後生 たすからんとおもふなりとし比の心さしわするへからす いとひたまはんまては時々はまいりてみたてまつるへし 又やれ衣きよむることなとはとふらひ給へかしと いへは妻返々目出く思とりたまひたりまことに この世はつねならねはさ様に思とりたまへる事わか ためもうれしき事也とてゆるしてけれはよろこひて 則出家をとけて廿貫の銭をまつ十貫をもちて 四条町にいたりぬある小家にいたりていふやうこれ十 貫の銭ありたてまつらん我を一月に十五日この家に 昼はかりやとしてその程一日に二たひの時料/s320l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/320 をこの銭にてしてたまへさて用途つきなんのちは ととめたまへといへは家のあるしよきこととおもひて事 うけしてけりかくあきなひし給所なれは家せはく て所なし屋のうへにゐたらんはいかにといへはそれは心 にまかせたまへといへは悦て家のうへにのほり てしもみさけて世の人のさはきわしるさまをみて世 間の無常をさとりて念仏してかみ十五日をすくし けりいま十貫をもちて又七条町に行てこの定に して下十五日をすくしけりさる程に念仏の功つもり て運心としをおくりけれは在地のものともたうと みてかつは夢なとも見たりけるにや面々に帰依/s321r してけふの時料をはわれさたせんわれさたせんとあらそひ結 縁しけれはあつけたりつる両所の十貫銭もことことく もいらす家のあるしの所得になりにけりかくて往生 の期ちかく成にけれは兼て其期をしりて仁和寺 の妻か家に行むかひていとなやむこともなくして 正念に住して高声念仏おこたらす端座合掌 しておはりにけり善知識は大なる因縁なれ はこの妻はゆゆしき善知識かなこれも阿弥陀如 来の御方便にや/s321l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/321