[[index.html|古今著聞集]] 蹴鞠第十七 ====== 412 安元御賀の時三位頼輔賀茂神主家平が家に行き向ひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 安元御賀((後白河法皇五十の賀))の時、三位頼輔((藤原頼輔))、賀茂神主家平((賀茂家平))が家に行き向ひて、「御賀の上げ鞠つかうまつるべきよし、勅定((高倉天皇の勅定))あり。その間の子細、訓説をかうぶるべし」と言はれければ、家平いはく((「いはく」は底本「いて」。諸本により訂正。))、「鞠はつかうまつり候へども、御賀の鞠つかうまつること、家に候はねば、故実申しがたく候ふ。ただし、常の老耄(らうもう)の人の上げ鞠の体(てい)にこそ候はめ」と申しけり。また示されていはく、「皮襪(かはしたうづ)を履きて、三足蹴んと思ふなり」。家平いはく、「装束には襪候ふ((「候ふ」は底本「は」。諸本により訂正))。七十の後、三足の上げ鞠見苦しく候ひなん」と申す。また示されていはく((「また示されていはく」は底本「又彼示云」。諸本により訂正。))、「人をば知らず、われはさせんと思ふなり」。家平いはく、「さて、誰にか鞠をはゆづり給ふべき」。三品((藤原頼輔))いはく、「少将泰通朝臣((藤原泰通))にゆづらんずるなり」。家平いはく、「その儀ならば、内々申させ給ひたるや」。三品いはく、「その儀なくとも、なにか苦しからん。淡路入道((源盛長))の弟子にて神主((賀茂成平))あり。神主の弟子に侍従大納言((藤原成通))あり。大納言の弟子にてわれあり。されば、その相違あるべからず」とぞ言はれける。家平、「されども、御文をつかはして返事を取りて持たせ給ひたらん、しかるべく候ひなん」とぞ言ひける。 ===== 翻刻 ===== 安元御賀の時三位頼輔賀茂神主家平か家に 行向て御賀の上鞠仕へきよし勅定あり其間の子 細訓説をかうふるへしといはれけれは家平いて 鞠は仕候へとも御賀の鞠つかうまつる事家に候はねは 故実申かたく候但常の老耄の人のあけまりの ていにこそ候はめと申けり又被示云皮襪をはきて 三足けんとおもふなり家平云装束には襪は七/s313r 十の後三足の上鞠見苦候なんと申又彼示云人 をはしらす我はさせんとおもふなり家平云さて誰 にか鞠をはゆつり給へき三品云少将泰通朝臣にゆつ らんする也家平云其儀ならは内々申させ給たるや 三品云其儀なくともなにかくるしからん淡路入道 の弟子にて神主あり神主の弟子に侍従大納言 あり大納言の弟子にて我ありされはその相違あ るへからすとそいはれける家平されとも御文をつかは して返事を取てもたせ給たらん可然候なんと そいひける/s313l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/313