[[index.html|古今著聞集]] 画図第十六
====== 401 後鳥羽院御幸の供奉人どもまことに選ばせ給ひて・・・ ======
===== 校訂本文 =====
後鳥羽院((後鳥羽上皇))、御幸の供奉人(ぐぶにん)ども、まことに選ばせ給ひて、御あらましに、「この定(ぢやう)に御幸あらばや」とて、信実朝臣((藤原信実))に仰せられて、三巻の絹絵に描かせられけり。八条左大臣((藤原良輔))・光明峰寺殿((藤原道家・九条道家))、左右の大臣にて供奉し給へり。めでたき重宝にてぞ侍りし。
今は修明門院に侍るとかや。この御幸は御あらましばかりにて、まことにはなかりけり。
===== 翻刻 =====
後鳥羽院御幸供奉人とも誠にえらはせ給て御
あらましに此定に御幸あらはやとて信実朝臣に
被仰て三巻の絹絵にかかせられけり八条左大臣光
明峯寺殿左右の大臣にて供奉し給へりめて
たき重宝にてそ侍し今は修明門院に侍とかや
此御幸は御あらましはかりにて実にはなかりけり/s302r
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/302