[[index.html|古今著聞集]] 画図第十六
====== 393 永承五年四月二十六日麗景殿の女御に絵合ありけり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
永承五年四月二十六日、麗景殿の女御((後朱雀天皇女御藤原延子))に絵合(ゑあはせ)ありけり。弥生の十日余りのころよりその沙汰ありけるは、「春の日のつれづれに暮らすよりは、常ならぬいどみごとを御前に御覧ぜさせばや。昔より聞こゆる花合は、散りて古き根にかへりぬれば、匂ひ恋し。草合は、尋ねてもとの所へ返しやれば、名残うるさし。歌林((類聚歌林))とかいふなるよりは、古万葉集まで心も及ばず。古今((古今和歌集))・後撰((後撰和歌集))等、青柳のいとくり返し見れども飽かず。紅葉の錦そめ出だす心も深き色なれ」とて((「とて」は底本「とも」。文脈により訂正。))、左右を定めて、歌の心・詠み人を絵に書きて合はせられけり。
「いにしへの歌の深きに添へて、今の言葉の浅きがまじりたらん、めづらしくや」とて、歌三つをつらねけり。題は、鶴・卯花(うのはな)・月になん侍りける。このごろは郭公(ほととぎす)などこそあるべきを、「大殿((藤原頼宗))の歌合の侍れば」とて、鶴にかへられけるなり。相模・伊勢大輔・左衛門命婦ぞ詠み侍りける。女房二十人、十人づつを分かちて、おのおの絵描く人を伝へ伝へに尋ねて描かせけり。
寝殿の東西の母屋の庇(ひさし)を上達部の座とす。源大納言(師房)((源師房))・小野宮中納言(資平)((藤原資平))・左衛門督(隆国)((源隆国))・新中納言(俊家)((藤原俊家))・中宮権大夫(経輔)((藤原経輔))・右大弁(経長)((源経長))・三位侍従(泰平)((底本ママ。源基平か。))などぞ参られける。殿上人は競馬(くらべうま)のさだめしける間なりければ、その所より右の頭中将((源資綱))、つぎつぎの八・九人ばかり引きつれて参りけり。
御簾の内には北面に分かれてゐたり。左、撫子襲(なでしこがさね)、右、藤襲の衣(きぬ)をなん着侍りける。
左、金(かね)の透箱(すきばこ)に、こころばへして、金(かね)の結び袋に色々の玉を村濃(むらご)に貫きて、括(くく)りにして、古今絵七帖、新しき歌絵の金(かね)の草子一帖入れたり。表紙、さまざまに飾りたり。打敷(うちしき)、瞿麦(なでしこ)の浮線綾(ふせんりよう)((「浮線綾」は底本「ふとんれう」。諸本により訂正。))に卯花を縫ひたりけり。数さしの金の州浜に、さしで丘かを作りて、葉山に松おほく植ゑたり。数には松をさし移すべきなり。打敷、深緑(ふかみどり)の浮線綾なり。
右、鏡海(かがみうみ)に金(かね)の鶴うけたり。金(かね)の透箱をうけに置きて、絵の草子六帖、新しき歌絵の草子一帖を入れ、表紙の絵さまざまなり。打敷、二藍のざうがに白き文を縫ひたり。数さしの金の州浜に、金の鶴あまた立てり。千年(ちとせ)つもれるといふ心なるべし。数には鶴の浦づたひ((「づたひ」は底本「つこひ」。諸本により訂正。))すべきなり。打敷、深緑のざうがに縫物をしたり。
日((「日」は底本「白」。諸本により訂正。))やうやく暮れぬれば、こなたかなたに居分けけり。大臣殿((藤原頼宗))は、つつみ給ふ御姿なれど、「上臈ものし給ふ」とて、忍びあへ給はず。左、四位少将((藤原忠家))、右、兵衛佐((藤原仲房か。))、かたがたの草子取りて詠み合はするほどに、左の方より、頭弁((藤原経家か。))、人々七・八人ひきつれて参りたり。かたがたうるはしくなりて、一・二番、上達部の中にさだめやられざりけるを、殿上人の中より、「勝負は忌みあることに」など侍りしかば、「げにこの絵ども、おぼろげにては見さだめがたきことのさまなれば」とて、勝負なし。なかなか勝ち負けあらんよりは、乱れておもしろかりけり。
新しき歌をば、おのおの番(つが)はれけり。相模が卯花の秀歌((「秀歌」は底本「委哥」。諸本により訂正。))詠みたるは、このたびのことなり。
見わたせば波のしがらみかけてけり卯の花さける玉川の里
土器(かはらけ)あまたたびになりて、引出物などありけるとかや。
===== 翻刻 =====
永承五年四月廿六日麗景殿女御に絵合あり
けり弥生の十日あまりの比よりそのさたありけるは春/s295l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/295
の日のつれつれにくらすよりはつねならぬいとみ事を御前に
御覧せさせはや昔よりきこゆる花合は散てふるき
根にかへりぬれはにほひ恋し草合は尋て本の所へ
返しやれは名残うるさし哥林とかいふなるよりは古万
葉集まて心もおよはす古今後撰等青柳のいと
くり返しみれともあかす紅葉の錦そめいたす心もふ
かき色なれとも左右をさためて哥の心よみ人を絵
に書て被合けりいにしへの哥のふかきにそへて今
のこと葉の浅かましりたらんめつらしくやとて哥三
をつらねけり題は鶴卯花月になん侍ける此比は郭公なと
こそあるへきを大殿哥合の侍れはとて鶴に/s296r
かへられけるなり相模伊勢大輔左衛門命婦そ読侍
ける女房廿人十人つつをわかちて各絵よく人を伝々
に尋てかかせけり寝殿の東西の母屋庇を上達
部の座とす源大納言(師房)小野宮中納言(資平)左衛門
督(隆国)新中納言(俊家)中宮権大夫(経輔)右大弁(経長)三位
侍従(泰平)なとそ参られける殿上人はくらへ馬のさた
めしける間なりけれはその所より右頭中将つきつきの
八九人はかり引つれて参けり御簾の内には北面分て
ゐたり左なてしこかさね右藤かさねの衣をなんき
侍ける左かねのすき箱にこころはへしてかねのむす
ひ袋に色々の玉をむらこにつらぬきてくくりにして/s296l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/296
古今絵七帖あたらしき哥絵のかねのさうし一帖入たり
表紙さまさまにかさりたり打敷瞿麦のふとんれうに
卯花を縫たりけり数さしの金の州浜にさして
のをかをつくりて葉山に松おほくうへたり数には
松をさしうつすへきなり打敷ふかみとりの浮線綾
なり右かかみ海にかねの鶴うけたりかねの透はこを
うけにをきて絵のさうし六帖あたらしき哥絵の
草子一帖を入表紙の絵さまさまなり打敷二藍
のさうかに白き文をぬいたり数さしの金の州浜
に金の鶴あまたたてり千とせつもれると
いふ心なるへし数にはつるのうらつこひすへきなり/s297r
打敷ふかみとりのさうかに縫物をしたり白漸暮ぬ
れはこなたかなたに居わけけり大臣殿はつつみ
給御姿なれと上臈ものし給とて忍あへ給
はす左四位少将右兵衛佐かたかたの双紙とりてよみ
合するほとに左の方より頭弁人々七八人ひきつ
れて参たりかたかたうるはしくなりて一二番上達
部の中にさためやられさりけるを殿上人の中
より勝負はいみある事になと侍しかはけに此絵とも
おほろけにては見さためかたき事のさまなれはとて
勝負なしなかなかかちまけあらんよりはみたれて
面白かりけりあたらしき哥をは各つかはれけり/s297l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/297
相模か卯花の委哥読たるはこのたひの事なり
みわたせは浪のしからみかけてけり卯花さける玉川のさと
かはらけあまたたひになりて引出物なとありけると
かや/s298r
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/298