[[index.html|古今著聞集]] 馬芸第十四 ====== 357 天治元年十月二十一日鳥羽院寛治の例を尋ねて高野に御幸ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 天治元年十月二十一日、鳥羽院((鳥羽上皇))、寛治の例を尋ねて、高野に御幸ありけり。道のほどおぼつかなく思し召して、白河院((白河上皇))よりひまなく御使ありけり。二十七日にぞ中の院に着かせおはしましける。二十八日に奥の院に参らせおはしましける。 晦日、還御の道、長坂の東野にて、御馬をおさへて、競馬(くらべうま)のことありけり。一番、左兵衛督((藤原実能))・権右中弁顕頼朝臣((藤原顕頼))、左勝ち。二番、修理大夫((藤原長実))・左近将曹公種(公俊)((底本、「公種」に「公俊」と傍書。「公俊」ならば佐藤公俊か。))が子、右馬出でず、左勝ち。三番、美作守顕輔朝臣((藤原顕輔))・左近府生秦兼信(兼方子)、勝負いかなりけるやらむ。いと興あることなり。 ===== 翻刻 ===== 天治元年十月廿一日鳥羽院寛治の例を尋て高野 に御幸ありけり道の程おほつかなく思食て白河 院よりひまなく御使ありけり廿七日にそ中院につ かせおはしましける廿八日に奥院にまいらせおはし ましける晦日還御のみち長坂の東野にて御馬を おさへて競馬の事ありけり一番左兵衛督権右 中弁顕頼朝臣左勝二番修理大夫左近将曹公種(公俊)子 右馬いてす左勝三番美作守顕輔朝臣左近府生/s260l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/260 秦兼信(兼方子)勝負如何なりけるやらむいと興ある事也/s261r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/261