[[index.html|古今著聞集]] 孝行恩愛第十
====== 314 中納言顕基卿は後一条院ときめかし給ひて・・・ ======
===== 校訂本文 =====
中納言顕基卿((源顕基))は後一条院((後一条天皇))ときめかし給ひて、若くより官位(つかさくらゐ)につけて恨みなかりけり。御門におくれ奉りにければ、「忠臣は二君に仕へず」とて、天台楞厳院にのぼりて、頭(かしら)おろしてけり。
御門、隠れ給へりける夜、火を灯さざりければ、「いかに」と尋ぬるに、主殿司(とのもづかさ)新主(後朱雀)の御事を勤むとて、参らぬよし申しけるに、出家の心強くなりにけるとかや。
あなたこなたにて行なはれけるが、大原に住みけるころ、宇治殿((藤原頼通))、かの庵室に向ひて((「向ひ」は底本「むすひ」。諸本により訂正。))終夜御物語ありけり。宇治殿、「後世は必ず導かせ給へ」など示めし給ひて、暁、帰りなんとし給ひける時、「俊実((源俊実。但し、顕基の子ではない。))は不覚のものにて候ふ」と申されけり。
その時は何とも思ひわかせ給はで、帰りて後、静かに案じ給ふに、「させるついでもなきに、子息のこと、よも悪しきさまには言はれじ。見放つまじきよしなりけり。思ひとりて世を遁るといへども、恩愛はなほ捨てがたきことなれば、思ひ余りて言ひ出でられけり」と、あはれに思して、ことにふれて芳志をいたされければ、大納言までなられにけり。
美濃大納言とは、この人のことなり。
===== 翻刻 =====
中納言顕基卿は後一条院ときめかし給てわかくより
つかさくらゐにつけて恨なかりけり御門にをくれたてま
つりにけれは忠臣は二君につかへすとて天台楞厳院に
のほりてかしらおろしてけり御門かくれ給へりける夜火をと
もささりけれはいかにとたつぬるに主殿司新主(後朱雀)の御事を
つとむとてまいらぬよし申けるに出家の心つよく成にけるとかや
あなたこなたにておこなはれけるか大原に住ける比宇治殿
彼庵室にむすひて終夜御物語ありけり宇治殿後世/s217r
はかならすみちひかせ給へなと示給て暁帰なんとし給
けるとき俊実は不覚のものにて候と申されけりそのときは
何とも思わかせ給はて帰りて後しつかに案給にさせるつ
ゐてもなきに子息の事よもあしきさまにはいはれし
みはなつましきよし也けりおもひとりて世をのかると
いへとも恩愛は猶すてかたき事なれは思あまりていひ
出られけりとあはれにおほして事にふれて芳志を至さ
れけれは大納言まてなられにけり美濃大納言とは此人の事也/s217l
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