[[index.html|古今著聞集]] 孝行恩愛第十 ====== 312 白河院の御時天下殺生禁断せられければ国土に魚鳥のたぐひ絶えにけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 白河院((白河上皇))の御時、天下殺生禁断せられければ、国土に魚鳥のたぐひ絶えにけり。そのころ、貧しかりける僧の、年老いたる母を持たるありけり。その母、魚なけれは物を食はざりけり。たまたま求め得たる食ひ物も食はずして、やや日数経るままに、老いの力いよいよ弱りて、今は頼む方なく見えけり。 僧、悲しみの心深くして、尋ね求むれども得がたし。思ひあまりて、つやつや魚捕る術(すべ)も知らねども、みづから川の辺(ほとり)にのぞみて、衣に玉だすきして、魚をうかがひて、はえといふ小さき魚を一・二捕りて、持たりけり。 禁制重きころなりければ、官人見あひて、からめ捕りて、院の御前へゐて参りぬ。まづ子細を問はる。「殺生禁制世にかくれなし。いかでかそのよしを知らざらん。いはんや、法師の形としてその衣を着ながらこの犯(をかし)をなすこと、ひとかたならぬ科(とが)、逃るる所なし」と仰せ合はせらるるに、僧、涙を流して申すやう、「天下にこの制重きこと、みな承るところなり。たとひ制なくとも、法師の身にてこの振舞ひ、さらにあるべきにあらず。ただし、われ、年老いたる母を持てり。ただわれ一人のほか、頼める者なし。齢(よはひ)たけ、身衰へて、朝夕の食ひ物((「食ひ物」は底本「喰」。))たやすからず。われまた家貧しく、財(たから)持たねば、心のごとくに養ふに力たへず。中にも、魚なければ物を食はず。このごろ天下の制によりて、魚鳥のたぐひ、いよいよ得がたきによりて、身力すでに弱りたり。これを助けんために、心の置き所なくて、魚捕る術(すべ)も知らざれども、思ひのあまりに川の端(はた)にのぞめり。罪を行なはれん((「行なはれん」は底本「おなはれん」。諸本により訂正。))こと、案のうちに侍り。ただし、この捕るところの魚、今は放つとも生きがたし。身の暇(いとま)を許(ゆ)りかたくは((「は」は底本「候」。諸本により訂正。))、この魚を母のもとへつかはして、今一度鮮やかなる味を勧めて、心やすく承はりおきて、いかにもまかりならん」と申す。 これを聞く人々、涙を流さずといふことなし。院聞こし召して、孝養の志浅からぬをあはれみ感ぜさせ給ひて、さまざまの物どもを馬・車に積みて賜はせて、許されにけり。乏(とも)しきことあらば、重ねて申すべきよしをぞ仰せられける。 ===== 翻刻 ===== 白川院御時天下殺生禁断せられけれは国土に魚鳥 のたくひたえにけり其比まつしかりける僧のとし老たる母 を持たるありけりその母魚なけれは物をくはさりけり たまたまもとめえたるくひ物もくはすしてやや日数ふるまま に老の力いよいよよはりて今はたのむ方なく見えけり 僧かなしみの心深くして尋もとむれともえかたしおもひ あまりてつやつや魚とるすへもしらねともみつから川の辺に のそみて衣に玉たすきして魚をうかかひてはへといふ ちいさき魚を一二とりて持たりけり禁制をもき比なり けれは官人見あひてからめとりて院の御前へゐてまいり ぬ先子細をとはる殺生禁制世にかくれなしいかてか其由を/s214l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/214 しらさらんいはんや法師のかたちとしてその衣をきなから 此犯をなす事一かたならぬ科のかるる所なしと仰合 らるるに僧涙をなかして申やう天下に此制をもき 事みなうけたまはる処也たとひ制なくとも法師の 身にて此振舞更にあるへきにあらす但われ年 老たる母をもてりたたわれ一人のほかたのめる ものなしよはひたけ身おとろへて朝夕の喰たやすからす 我又家まつしく財もたねは心のことくにやしなふに ちからたへす中にも魚なけれは物をくはす此比天下 の制によりて魚鳥のたくひいよいよ得かたきに よりて身力すてによはりたり是をたすけん/s215r ために心のをき所なくて魚とる術もしらされとも 思のあまりに川のはたにのそめり罪をおなはれん 事案のうちに侍り但このとる処の魚いまははなつ ともいきかたし身のいとまをゆりかたく候この魚を母の もとへつかはして今一度あさやかなる味をすすめて心や すくうけ給をきていかにもまかりならんと申す是を きく人々涙をなかさすといふ事なし院きこしめして 孝養の志あさからぬをあはれみ感せさせ給てさまさま の物ともを馬車につみて給はせてゆるされにけりともしき 事あらはかさねて申へきよしをそ仰られける/s215l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/215