[[index.html|古今著聞集]] 孝行恩愛第十 ====== 311 昔元正天皇の御時美濃国に貧しく賤しき男ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、元正天皇(女帝。文武姉・草壁皇子子女)の御時、美濃国に、貧しく賤しき男ありけり。老いたる父を持ちたりけるを、この男、山の木草を取りて、その価(あたひ)を得て、父を養ひけり。この父、朝夕あなかちに酒を愛(め)で欲しがりければ、なりひさごといふ物を腰に付けて、酒売る((「売る」は底本「たる」。諸本により訂正。))家にのぞみて、常にこれを乞ひて父を養ふ。 ある時、山に入りて薪を取らんとするに、苔深き石に滑りて、うつぶしにまろびたりけるに、酒の香のしければ、思はずにあやしくて、そのあたりを見るに、石の中より水流れ出づる所あり。その色酒に似たりければ、汲みて舐むるに、めでたき酒なり。嬉しく覚えて、その後、日々これを汲みて、飽くまで父を養ふ。 時に御門、このことを聞こし召して、霊亀三年九月日、その所へ行幸ありて、叡覧ありけり。「これすなはち至孝のゆゑに、天神地祇あはれみて、其徳をあらはす」と感ぜさせ給ひて、美濃守になされにけり。家豊かになりて、いよいよ孝養の心深かりけり。 その酒の出づる所を、養老の滝と名付けられけり。これによりて、同じき十一月に、年号を養老と改められけるとぞ。 ===== 翻刻 ===== 昔元正天皇(女帝文武姉草壁皇子子女)の御時美濃国にまつしく賤き男有けり 老たる父をもちたりけるを此男山の木草をとりてその あたひをえて父を養けり此父朝夕あなかちに酒を愛 ほしかりけれはなりひさこといふ物を腰につけてさけたる 家にのそみて常にこれをこひて父をやしなふ或時山に/s213l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/213 入て薪をとらんとするに苔ふかき石にすへりてうつふしに まろひたりけるに酒の香のしけれは思はすにあやしく てそのあたりをみるに石の中より水なかれ出る所あり其 色酒に似たりけれは汲てなむるにめてたき酒なりうれ しく覚て其後日々これをくみて飽まて父をやし なふ時に御門此事をきこしめして霊亀三年九月日其 所へ行幸ありて叡覧ありけりこれ則至孝の故に天神 地祇あはれみて其徳をあらはすと感せさせ給て美濃守 になされにけり家ゆたかに成ていよいよ孝養の心ふかかり けり其酒のいつる所を養老瀧と名つけられけりこれにより て同十一月に年号を養老とあらためられけるとそ/s214r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/214