[[index.html|古今著聞集]] 術道第九 ====== 299 野宮左府幼くおはしける時母儀さまをやつして具し奉りて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 野宮左府(公継)((藤原公継・徳大寺公継))幼くおはしける時、母儀、さまをやつして具し奉りて、播磨の相人とて、名誉の者ありけるに行きて、相せさせられけり。 相人、よくよく見申して、必ず一の上(かみ)に至り給ふべきよしを申しけり。母儀、あらがひて、「これは、さほどの位に至るべき人にあらず。侍(さぶらひ)ほどの者の子にて侍るなり」とのたまひければ、相人、申しけるは、「まことに侍にておはしまさば、検非違使などになり給ふべきにや。いかにも大臣の相おはしますものを」と申しけり。 後徳大寺左大臣((藤原実定))の末の子にておはしけるが、このかみみな失せ給ひて、家を継ぎて、大将を経て、左大臣従一位に至りて、天下の権をとり給ひける。ゆゆしく相し申したりけるなり。 このことを、大臣(おとど)聞きたもち給ひて、相を習ひて、めでたくし給ひけるとぞ。わが寿限などをも、鏡を見て相して、かねて知り給ひたりけるとぞ。 ===== 翻刻 ===== 野宮左府(公継)おさなくをはしける時母儀さまをやつし てくしたてまつりて播磨の相人とて名誉のもの ありけるにゆきて相せさせられけり相人よくよく見 申て必一上にいたり給へきよしを申けり母儀あらか ひてこれはさほとの位にいたるへき人にあらす侍ほと のものの子にて侍也とのたまひけれは相人申けるは まことに侍にてをはしまさは検非違使なとになり給 へきにやいかにも大臣の相をはします物をと申けり/s209r 後徳大寺左大臣のすゑの子にてをはしけるかこのかみ みなうせ給て家をつきて大将をへて左大臣従一位 にいたりて天下の権をとり給けるゆゆしく相し 申たりける也此事をおととききたもち給て相を ならひてめてたくし給けるとそわか寿限なとをも 鏡を見て相して兼てしり給たりけるとそ/s209l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/209