[[index.html|古今著聞集]] 管絃歌舞第七 ====== 280 康治元年三月四日仁和寺の一切経会に両院御幸ありけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 康治元年(近衛((近衛天皇)))三月四日、仁和寺((平等院の誤り。))の一切経会に、両院(鳥羽((鳥羽上皇))・崇徳((崇徳上皇)))御幸ありけるに((「ありけるに」は底本「ありに」。諸本により訂正。))、入道殿下((藤原忠実))参らせ給ひけり。 春鶯囀(しゆんあうでん)を舞ひける時、行則((狛行則))申しけるは、「光時((狛光時))、颯踏(さつたう)・急声(きつしやう)二反を舞ひ、行則一反を舞ふ。第二の切(せつ)絶えたり」。入道殿、仰られけるは、「第二反のたび、すなはち舞ふべからず」。これによりて、第二反の時は、ひざまづきて候ひけり。 京極大相国宗輔((藤原宗輔))、その時大納言にて候はれけるが申されける、「康和の御賀に、光時が曾祖父光季((狛光季))、第二反絶ゆるよし申し侍りき。今、光時二反を舞ふ、いかが。もし、光季秘蔵しけるにや」。 宇治左府御記((藤原頼長の日記『台記』))には、「件(くだん)の卿、もとより光時を憎みて言はれけるにや」とぞ書き給ひて侍るなる。 ===== 翻刻 ===== 康治(近衛)元年三月四日仁和寺の一切経会に両院(鳥羽崇徳)御幸あり に入道殿下まいらせ給けり春鶯囀を舞ける時行則申 けるは光時颯踏急声二反を舞行則一反を舞第二の 切絶たり入道殿仰られけるは第二反のたひ則舞へからす 是によりて第二反の時はひさまつきて候けり京極大相国 宗輔其時大納言にて候はれけるか申されける康和御 賀に光時か曾祖父光季第二反たゆるよし申侍き いま光時二反をまふ如何もし光季秘蔵しけるにや宇 治左府御記には件卿もとより光時をにくみていはれける にやとそかき給て侍なる/s189l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/189