[[index.html|古今著聞集]] 管絃歌舞第七
====== 279 鳥羽院八幡に御幸ありて御神楽行なはれけるにみづから御笛を吹かせ給ひけり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
鳥羽院((鳥羽天皇))、八幡((石清水八幡宮))に御幸ありて、御神楽行なはれけるに、みづから御笛を吹かせ給ひけり。本拍子(もとびやうし)、徳大寺左府((藤原実能))納言にて、取り給ひけり。末拍子、按察資賢卿((源資賢))の殿上人にて取られけり。
備後前司季兼朝臣((藤原季兼))、庭火(にはび)の本歌を唱へけるに、秦兼弘、人長(にんぢやう)にて、諸歌(もろうた)を仰すとて、「外山なる」と歌ふ時仰せけるにも、末句を歌はで季兼朝臣退きにけるを、「その説を知らぬにこそ」と世の人言ひけり。榊のふりに末句を歌はざるは故実にて侍るとなん。
季兼朝臣、帰洛しけるに、作道(つくりみち)((鳥羽作道))にて、後ろの方より馳せ来たる者ありける、見返りたれば多近方なり。馳せ付きて言ひけるは、「あなかしこ。このこと陳じ給ふな。ただ知らざるよしにておはしますべし。もし陳じ給はば、秘説あらはれぬべし」とぞ言ひける。
兼方((秦兼方))が知らざりければ、兼弘は知らぬはことわりなり((「なり」は底本「なる」。諸本により訂正。))。拍子取りて出で立つ時、人長、輪を冠にかけて引きとどむるとかや。これ秘説にて侍り。
===== 翻刻 =====
鳥羽院八幡に御幸ありて御神楽おこなはれけるに
身つから御笛をふかせ給けり本拍子徳大寺左府納言にて/s188l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/188
とり給けり末拍子按察資賢卿の殿上人にてとられ
けり備後前司季兼朝臣庭火の本哥をとなへける
に秦兼弘人長にてもろ哥を仰すとて外山なるとうた
ふ時仰せけるにも末句をうたはて季兼朝臣しりそきに
けるを其説をしらぬにこそと世の人いひけり榊のふり
に末句をうたはさるは故実にて侍となん季兼朝臣
帰洛しけるに作道にてうしろの方より馳来るものありける
み帰たれは多近方也馳付ていひけるはあなかしこ此事
陳したまふなたたしらさる(由)にておはしますへしもし陳し
給はは秘説あらはれぬへしとそいひける兼方かしらさり
けれは兼弘はしらぬはことはりなる拍子とりて出たつとき/s189r
人長輪を冠にかけて引ととむるとかや是秘説にて侍り/s189l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/189