[[index.html|古今著聞集]] 管絃歌舞第七 ====== 273 同じき三年正月四日朝覲行幸に輪台出でんとしける。・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 同じき((保延。[[s_chomonju272|272]]参照))三年正月四日、朝覲(てうきん)行幸に輪台(りんだい)出でんとしける。左楽の行事にて、大炊御門((徳大寺公能・藤原公能。「大炊御門」は底本「太煩炊御門」。諸本により訂正。))、右府の中将とておはしけるが、進み参りて、輪台の垣代(かいしろ)の笙吹(しやうふき)、雅楽属(うたのさくわん)清方((藤井清方))・左近将曹時秋((豊原時秋))、音取(ねとり)を相論のよし奏せられければ、殿下((藤原忠通))、院((鳥羽院))に申させ給ひけり。院、思し召し得ざるよし、仰せありけり。 殿下、左大臣((源有仁))に尋ね申されければ、左府申されけるは、「笙、ことのほかに勝劣あり。先例・官の上下臈によらず、譜代を選び用ゐらるることなり。もし清方を用ゐられば、笙のため汚きことなり」と申されければ、殿下、このよしを楽行事の司に仰せられけり。これを聞きて、中院右大臣((源雅定))の大納言にておはしけるをはじめとして、悦ぶ人々多かりけり。かの右府は。時秋が弟子にてなんおはしましけるゆゑなり。 建長五年正月二十七日に、八幡行幸((石清水八幡宮への行幸。))の還御のついでに、鳥羽殿に入らせおはしまして、二十八日に朝覲の礼あり。垣代の笛、雅楽大夫戸部政氏は笛の一にて侍れども、左近将監大神正賢、かねてより訴(うた)へ申して吹きたりしは、保延の例(ためし)にて 侍りけるにや。戸部氏こそ本体にて侍りしに、近代、大神氏に帆風(ほかぜ)を取られて、かやうに正賢にも訴へられけるにこそ。 ===== 翻刻 ===== 同三年正月四日朝覲行幸に輪臺いてんとしける左楽/s184l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/184 行事にて太煩炊御門右府の中将とておはしけるかすすみ まいりて輪臺の垣代の笙吹雅楽属清方左近将曹 時秋音取を相論のよし奏られけれは殿下院に申させ 給けり院おほしめしえさるよし仰ありけり殿下左大 臣に尋申されけれは左府申されけるは笙事の外に勝 劣あり先例官の上下臈によらす譜代をえらひ用らるる 事也もし清方を用られは笙のためきたなき事也 と申されけれは殿下このよしを楽行事の司に仰られ けりこれをききて中院右大臣の大納言にておはしけるを はしめとして悦人々おほかりけり彼右府は時秋か弟子 にてなんおはしましける故なり/s185r 建長五年正月廿七日に八幡行幸の還御の次に鳥羽殿 にいらせおはしまして廿八日に朝覲の礼あり垣代のふゑ 雅楽大夫戸部政氏は笛の一にて侍れとも左近将監大神 正賢兼よりうたへ申て吹たりしは保延のためしにて 侍けるにや戸部氏こそ本体にて侍しに近代大神氏 にほかせをとられてかやうに正賢にもうたへられけるにこそ/s185l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/185