[[index.html|古今著聞集]] 管絃歌舞第七 ====== 265 知足院殿何事にてかさしたる御望み深かりけること侍りけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 知足院殿((藤原忠実))、何事にてか、さしたる御望み深かりけること侍りけり。御歎きのあまり、大権房といふ効験(かうげん)の僧のありけるに、荼枳尼(だきに)の法を行なはせられけり。日限をさして、験(しるし)あることなりけり。 せめての懇切のあまりに、件(くだん)の僧を召して、仰せ合はせられけるに、僧の申しけるは、「この法、いまた疵つかず候ふ。七日の中に験あるべし。もし七日になほ験なくは、いま七日を延べらるべく候ふや。それにかなはずは、すみやかに流罪に行なはれ候へかし」と、きらびやかに申してけり。よつて、供物以下のこと、注進にまかせて賜ひてけり。 さて、初め行ふに、七日に験なし。その時、「すでに七日に験なし。いかに」と仰せられければ、「道場を見せらるべく候ふや。たのもしき験候ふなり」と申しければ、すなはち人をつかはして見せられければ、狐一疋来たりて、供物を食ひけり。さらに人に恐るることなし。 さて、その後七日を延べ行なはるるに、満ずる日、知足院殿、御昼寝ありけるに、容顔美麗なる女房、御枕を通りけり。その髪、襲(かさね)の衣の裾(すそ)よりも三尺ばかり余りたりけり。あまりに美しう艶(えむ)に思しけるままに、その髪に取り付かせ給ひぬ。女房、見かへりて、「さまあしう、いかにかくは」と申しける声・気配・顔のやう、すべてこの世のたぐひにあらず。「天人の天下りたらんもかくや」と思えさせ給ひて、いよいよしのびあへさせ給はで、強く取りとどめさせけるを、女房荒く引き放ちて通りぬと思し召しけるほどに、その髪切れにけり。かたはらいたく、あさましく思すほどに、御夢覚めぬ。うつつに御手にもののかにしてあるを御覧じければ、狐の尾なりけり。 不思議に思し召して、大権房を召して、そのやうを仰せられければ、「さればこそ申しつれ。いかにむなしかるまじく候ふ。年ごろ厳重の験多く候ひつれども、これほどにあらたなることはいまだ候はず。御望みのこと、明日午刻に必ずかなひ候ふべし。この上は、流罪のことは候ふまじくや」と、狂ひ申して出でにけり。かつがつとて、女房の装束一襲(かさね)かづけ給ひけり。 申すがごとく、次の日午刻に、御悦びのこと、公家より申されたりけるとぞ。摂籙(せつろく)の一番の御まつりごとに、大権((大権房))をば有職になされけり。 件(くだん)の生き尾は、清き物に入れて深く納めにけり。やがて、その法を習はせ給ひて、さしたる御望みなどのありけるには、みづから行なはせ給ひけり。かならず験ありけるとぞ。妙御院の護法殿に収められける、いかがなりぬらん。その生き尾のほかも、また別の御本尊ありけるとかや。花園の大臣(おとど)((源有仁))の御跡、冷泉東洞院に御わたりありし時も、祠(ほこら)を構へて祝(いは)はれたりけり。福天神とて、その社、当時もおはしますめり。 この福天神の不思議多かる中に、寛喜元年のころ、七条院((白河院の御所。))に式部大夫国成といふ者あり。越前の目代にて侍りしかば、其時は目代入道とぞ申しける。その子息に左衛門尉なにがしとかやといひて、四条大納言((藤原隆房))家に祗候(しこう)の間、夕暮にかの亭冷泉万里小路より退出の時、大炊御門高倉辺にて立ちとどまりて、「あなおもしろの箏の音(ね)や」と言ひて、行きもやらず、うち傾(かたぶ)きて、おもしろがりけり。供にある男に、「これは聞くか」と言ふ。「さらに聞かず」と答へければ、「いかにや、これほどにおもしろき箏をば聞かぬ」とて、なほ一人心を澄まして立ちたりけり。 さて、家に行き着きて、やがて胸を病み出だして、あさましく大事なり。その上、物狂はしくて、西をさして走り出でむとしければ、したたかなる者ども六人して取りとどめけるに、その力の強きこと、いふばかりなし。高く踊り上りて、頭(かしら)を下(しも)になして、肩を板敷に強く投げければ((「投げければ」は底本「なけられは」。諸本により訂正。))、ただ今に身も砕けぬとぞ見えける。 その時、法深房((藤原孝時))、いまだ俗にて、大炊御門東洞院の山かの中納言の局の家の北の対(たい)を借り受けてゐられたりけり。この病者が家は、ただ東にてぞ侍りける。そなたへ指をさして行かんとするを、父、「誰(た)がもとへ行かんと思ひて指をはさすぞ。西藤馬の助((法深房を指す。「西には藤馬助」とあるべきか。))こそおはすれ。かれへ行かんと思ふか」と問ひければ、病者うなづきけり。「さらば、呼び申さんはいかに」と言へば、喜びたる気色にて、うなづきけり。 その時、馬の助のもとへ行きて、このやうを言ひければ、「あやしきことなり」とて、すなはちあひともに病者のもとへ行きぬ。病者、馬の助を見て、さしも狂ひつるが、しめじめと静まりて、みづから烏帽子を取りてうちかづきて、深くかしこまりたり。あたりに六・七人ゐたり ける看病の者どもを、次第ににらみけり。よに悪(あ)しげに思ひたりければ、みな退(の)けてけり。父の入道ばかり片隅に引き入りてゐたりけるを、なほ悪しげに思ひてにらみければ、それをも退けてけり。馬の助とただ二人向ひて、その気色、ことにことよく心ゆきたる((「心ゆきたる」は底本「心ゆるたる」。諸本により訂正。))気色なり。なほかしこまり恐れたることかぎりなし。 さて馬の助、「何しに召され候ひけるぞ」と言へば、いよいよ深くかしこまりて、初めて言葉を出だして言ひけるは、「御辺近く候ふ者にて候ふ。見参に入りたく候ひて」と言ふ。馬の助、「さ候へば、召しにしたがひて参りて候ふ。何事も仰せられ候へ」と言へば、病者、「あまりに御箏・御琵琶・御声わざなどの承りたく候ふ」と言ふ。馬の助、「やすきことに候ふ。その道にたづさはりたる身にて候へば、人をきらふことなし。ただ聞きたがる人を悦びにつかうまつれば、仰せにしたがふべし」とて、すなはち琵琶を取り寄せて、弾きて聞かするに、うちうなづき、うちうなづきて、左右へ身をゆるがして、心とけたるさまあらはなり。弾き果てて置きければ、また、「御箏の承りたく候ふ」と言ふ。すなはち、言ふがごとく弾きけり。おもしろがること、先のごとし。その後、朗詠・催馬楽など、さまざまの声わざども、所望にしたがひてつくしければ、あさましく嬉しげに思ひたり。 さて馬の助言ひけるは、「仰せにしたがひて諸芸どもつかうまつりぬ。この御望みは、いくたびなりともやすきことなり。聞きたく思さん時は、はばかり給ふべからず。かやうに尋常ならぬ御気色ならで、今よりはのどまりて仰せられよ」と言へば、病者、またかしこまりつつ、「かやうの身がらにては、かくうるはしからでは見参の便宜(びんぎ)候はで」と言ふ。馬の助、「さ候はば、暇(いとま)給はりてまかりなん。ちと物を召し候へかし」と言へば、承伏しけり。 すなはち、白き米を土器(かはらけ)に入れたるを、打鮑(うちあはび)とを折敷(をしき)に入れて取り寄せ勧むれば、米をうちくぐみて、ことに歯音(はおと)よげに、からからと食ひけり。打鮑を取り合はせて、ただ一両口に、やすやすと食ひてけり。その食ひやうも普通の儀にあらず。さて、酒を勧むれば、日ごろはすべて一土器(ひとかはらけ)だにもえ飲まぬ下戸なりけるが、大なる白土器にて二度飲みてけり。「いま一度」と勧めて、また一度飲みつつ、「この上はさらば」とて、馬の助は帰りぬ。 さるほどに、暁に及びて、父入道、また来たりて言ふやう、「御帰りの後、また狂ひ候ふなり。さりとては、いま一度御渡り候ひて御覧ぜよ」と言ふ。すなはちしたがひて来ぬ。げにも、その狂ひやう、おびたたしく恐しかりけり。 馬の助来たりて、「いかに軽々(きやうきやう)に人をばすかさせ給ふぞ。何事も仰せらるるにしたがひて、もろもろのこと、ほどこして聞かせ奉りぬ。今は御心ゆきて、暇(いとま)を賜はりて帰りつれば、心やすくこそ思ひ給ふに、やがていつしかかくおはすべきことかは」と、はしたなげに言ひければ、「そのことに候ふ。なを所望のことども残りて候ふなり。琵琶には手と申して、めでたきことの候ふぞかし。それが承りたく候ひて」と言ふ。馬の助、「やすきこと。さらば一度には仰せられで」とて、すなはち風香調(ふかうでう)の手一両弾きて聞かせけり。まめやかにおもしろげに思ひて、うち傾(かたぶ)きうち傾き聞きけり。 その時、「琵琶の手は聞かせ給ひぬ。箏の調子はいかに。これほど好かせ給ひたれば、心おちて弾きて聞かせ奉らん」とて、三段の上りかき合はせ、並びに梅花といふ撥合(ばちあはせ)など弾きて聞かせければ、掌(たなごころ)を合はせておもしろがりけり。 かくするほどに、夜すでに明けて、壁の崩れより日影のさし入りたる穴より、犬の鼻を吹きて内を嗅ぎけるを((「嗅ぎけるを」は底本「かきける候を」。諸本により訂正。))、この病者見て、肩をすゑ、顔の色変はり、恐れおののきたる気色なり。 ここに、かの福天神の所為(しよゐ)と悟りて、犬を追ひのけつ。その後、気色なほりてけり。「今は心ゆきぬらん。まかり帰らん。見参に入り候ひぬる、嬉しく候ふ。御社へも参りて、物の音(ね)あまたそろへて、楽(がく)して聞かせ参らすべし」と言へば、「昔、常に承ることにて、その御名残なつかしく候ひて、恐れながら申して候ひつるなり」とぞのたまひける。さて、馬の助帰りぬ。 その後、病者うち臥して、申刻ばかりまでは起きも上がらざりけり。このこと、あはれに思えて、尾張内侍・讃岐など誘ひて、かの社に詣でて、箏・琵琶弾きて聞かせ奉りけるとぞ。 ===== 翻刻 ===== 知足院殿何事にてかさしたる御のそみふかかりける 事侍けり御歎のあまり大権房といふ効験の僧の有 けるにたきにの法をおこなはせられけり日限をさしてしる しある事なりけりせめての懇切のあまりに件僧を/s175l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/175 めして仰合せられけるに僧の申けるはこの法いまた疵つ かす候七日の中にしるしあるへし若七日に猶しるしなくは いま七日をのへらるへく候哉それにかなはすはすみやかに流 罪におこなはれ候へかしときらひやかに申てけり仍供物以下 の事注進にまかせて給てけりさて初おこなふに七日にし るしなし其時すてに七日に験なしいかにと仰られけれは 道場をみせらるへく候哉たのもしきしるし候也と申けれは すなはち人をつかはしてみせられけれは狐一疋来て供 物をくひけりさらに人におそるる事なしさて其後七日 を延行はるるに満する日知足院殿御ひるねありけるに 容顔美麗なる女房御枕をとほりけりそのかみかさね/s176r の衣のすそよりも三尺はかりあまりたりけりあまりに うつくしうえむにおほしけるままにその髪にとりつか せ給ぬ女房見帰てさまあしういかにかくはと申ける 声けはひかほのやうすへてこの世のたくひにあらす 天人のあまくたりたらんもかくやとおほえさせ給てい よいよしのひあへさせ給はてつよくとりととめさせける を女房あらく引はなちてとほりぬとおほしめしける程に そのかみきれにけりかた腹いたくあさましくおほす程 に御夢さめぬうつつに御手にもののかにしてあるを御らんし けれは狐の尾なりけり不思儀におほしめして大権房 をめしてそのやうを仰られけれはされはこそ申つれ/s176l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/176 いかにむなしかるましく候年比厳重のしるしおほく候つ れともこれ程にあらたなる事はいまた候はす御望の 事明日午刻に必かなひ候へしこのうへは流罪の事は 候ましくやと狂申て出にけりかつかつとて女房の装束 一襲かつけ給けり申すかことく次日午刻に御悦の事 公家より申されたりけるとそ摂籙の一番の御まつりことに 大権をは有職になされけり件のいき尾はきよき物に入て ふかくおさめにけりやかて其法を習はせ給てさしたる御望 なとのありけるには身つから行なはせ給けりかならす験あり けるとそ妙御院の護法殿に収られけるいかかなりぬらんそのいき 尾の外も又別の御本尊ありけるとかや花薗のおととの御跡/s177r 冷泉東洞院に御わたりありし時もほこらを構ていははれ たりけり福天神とてその社当時もおはしますめり此 福天神の不思儀おほかる中に寛喜元年の比七条院に式部 大夫国成といふ物あり越前の目代にて侍しかは其時は目代 入道とそ申けるその子息に左衛門尉なにかしとかやといひて 四条大納言家に祗候のあひた夕暮に彼亭冷泉万里 小路より退出の時大炊御門高倉辺にて立ととまりて あなおもしろの箏のねやといひて行もやらすうちかたふきて おもしろかりけり共にある男にこれはきくかといふさらにきか すとこたへけれはいかにやこれ程におもしろき箏をは聞 かぬとて猶ひとり心をすましてたちたりけりさて家に/s177l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/177 行付てやかて胸をやみ出してあさましく大事也その うへ物狂はしくて西をさしてはしりいてむとしけれは したたかなる物とも六人してとりととめけるにその力の つよき事いふはかりなしたかくおとりありてかしらをしも になして肩を板敷につよくなけられはたたいまに身も くたけぬとそ見えける其時法深房いまた俗にて太炊 御門東洞院の山かの中納言局の家の北対をかりうけて ゐられたりけりこの病者か家はたた東にてそ侍けるそなた へ指をさしてゆかんとするを父たかもとへゆかんとおもひて ゆひをはさすそ西藤馬助こそおはすれかれへゆかんとおもふ かと問けれは病者うなつきけりさらはよひ申さんはいかにと/s178r いへはよろこひたる気色にてうなつきけりその時馬助 のもとへ行てこのやうをいひけれはあやしき事なりとて則 あひ共に病者のもとへ行ぬ病者馬助を見てさしもくる ひつるかしめしめとしつまりて身つから烏帽子をとりてう ちかつきてふかくかしこまりたりあたりに六七人居たり ける看病の物ともを次第ににらみけりよにあしけにおもひ たりけれはみなのけてけり父の入道はかりかたすみに引 入てゐたりけるをなをあしけに思てにらみけれはそれをも のけてけり馬助とたた二人むかひてそのけしきことに事 よく心ゆるたるけしきなりなをかしこまり恐たることか きりなしさて馬助なにしにめされ候けるそといへはいよいよ/s178l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/178 ふかくかしこまりてはしめて詞を出していひけるは御辺 ちかく候物にて候見参に入たく候てといふ馬助さ候へはめし に随てまいりて候何事も仰られ候へといへは病者あまり に御箏御琵琶御こゑわさなとのうけ給たく候といふ馬 助やすき事に候その道にたつさはりたる身にて候へは人 をきらふことなしたたききたかる人を悦につかうまつれは 仰にしたかふへしとて則琵琶をとりよせて引てきかす るにうちうなつきうちうなつきて左右へ身をゆるかして心とけたるさま あらは也引はてておきけれは又御箏の承たく候といふ則 いふかことく引けりおもしろかる事先のことし其後朗詠催馬楽 なとさまさまのこゑわさとも所望にしたかひてつくしけれは/s179r あさましくうれしけに思たりさて馬助いひけるは仰に したかひて諸藝ともつかうまつりぬこの御望はいくたひ也 ともやすき事也ききたくおほさん時はははかり給へからす かやうに尋常ならぬ御気色ならていまよりはのとまりて仰られ よといへは病者又かしこまりつつかやうの身からにてはかくうる はしからては見参の便宜候はてといふ馬助さ候ははいとま給はり てまかりなんちと物をめし候へかしといへは承伏しけり則し ろきこめをかはらけに入たるをうちあはひとをおしきに 入てとりよせすすむれはこめをうちくくみてことにはおと よけにからからとくひけりうちあはひをとりあはせてたた 一両口にやすやすとくひてけりそのくひやうも普通の/s179l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/179 儀にあらすさて酒をすすむれは日来はすへて一かはらけ たにもえのまぬ下戸なりけるか大なるしろかはらけに て二度のみてけりいま一度とすすめて又一度のみつつこの うへはさらはとて馬助はかへりぬさる程に暁に及て父入道 又来ていふやう御帰ののち又くるい候なりさりとてはいま一 度御渡候て御らんせよといふすなはちしたかひてきぬけにも そのくるひやうおひたたしくおそろしかりけり馬助来て いかにきやうきやうに人をはすかさせ給そ何事も仰らるる にしたかひてもろもろの事ほとこしてきかせたてまつり ぬいまは御心ゆきていとまをたまはりて帰つれは心やすく こそ思給にやかていつしかかくおはすへき事かはとはし/s180r たなけにいひけれはその事に候なを所望の事とも残 て候なり比巴には手と申てめてたき事の候そかしそれ かうけ給たく候てといふ馬助やすきことさらは一度には仰 られてとて則風香調手一両引てきかせけりまめやかに おもしろけに思ひてうちかたふきうちかたふきききけり其時比巴の 手はきかせ給ぬ箏の調子はいかにこれ程すかせ給たれは心 おちて引てきかせたてまつらんとて三段ののほりかきあ はせ并梅花といふ撥合なと引てきかせけれはたな心を あはせておもしろかりけりかくする程に夜すてにあけ て壁のくつれより日影のさし入たる穴より犬の鼻を ふきてうちをかきける候を此病者みて肩をすへかほ/s180l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/180 の色かはりおそれおののきたる気色なり爰かの福天 神の所為とさとりて犬をおいのけつそののち気色なをり てけりいまは心ゆきぬらんまかり帰らん見参に入候ぬるうれ しく候御社へもまいりて物のねあまたそろへて楽して きかせまいらすへしといへは昔つねに承事にてその御 名残なつかしく候て恐なから申て候つる也とそのたまひける さて馬助帰ぬ其後病者うちふして申刻はかりまて はおきもあからさりけり此事あはれにおほえて尾張内侍 讃岐なとさそひて彼社に詣て箏琵琶引てきかせ たてまつりけるとそ/s181r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/181