[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六 ====== 180 わが国の松浦佐夜姫といふは大伴狭手麿が女なり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== わが国の松浦佐夜姫(まつらさよひめ)といふは、大伴狭手麿((「狭手麿(さてまろ)」は底本「手麿」。諸本により訂正。))が女(むすめ)なり。 夫(をとこ)、帝の御使(みつかひ)に唐へ渡るに、すでに船に乗りて行く時、その別れを惜しみて、高き山の峰に登りて、遥かに離れ行くを見るに、悲しみに耐へずして、領巾(ひれ)を脱ぎてまねく。見る者、涙を流しけり。 それより、この山を領巾麾(ひれふり)の峰といふ。この山は肥後国にあり。松浦明神とて今におはしますは、かの佐夜姫のなれると言ひ伝へたり。この山を松浦山といふ。磯をば松浦潟ともいふなり。 『万葉((万葉集))』にこの心の歌あり。   遠つ人まつらさよひめ夫恋(つまご)ひにひれふりしより負へる山の名 ===== 翻刻 ===== 我国の松浦佐夜姫といふは大伴手麿か女也おとこ帝の 御使に唐へわたるにすてに船に乗て行とき其別を惜みて たかき山の嶺にのほりてはるかにはなれゆくをみるにかな しみにたへすして領巾をぬきてまねくみるもの涙を なかしけりそれより此山を領巾麾のみねといふ此山は 肥後国にあり松浦明神とていまにおはしますはかの/s134l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/134 さよ姫のなれるといひつたへたりこの山を松浦山といふ磯 をは松浦かたともいふなり万葉に此心の哥あり  とをつ人まつらさよひめつまこひにひれふりしよりをへる山の名/s135r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/135