[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六
====== 178 元永元年六月十六日修理大夫顕季卿六条東洞院の亭にて柿下大夫人丸供を行ひけり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
元永元年六月十六日、修理大夫顕季卿((藤原顕季))、六条東洞院の亭にて、柿下大夫人丸供((人麻呂影供))を行ひけり。件の人丸((柿本人麻呂))の影(兼房朝臣夢本((括弧内底本割注。「兼房朝臣」は藤原兼房。)))新しく図絵するなり。左の手に紙を取り、右の手に筆を握りて、年(とし)六旬ばかりの人なり。その上に讃を書く
> 柿下朝臣人麿画賛一首 并序
>大夫姓柿下、名人麿、蓋上世之歌人也。仕持統((持統天皇))・文武((文武天皇))之聖朝、遇新田((新田部皇子))・高市之皇子((高市皇子))。吉野山之春風、従千駕而献寿、明石浦之秋霧、思扁舟而瀝詞。誠是六義之秀逸、万代之美談者歟。方今依重幽玄之古篇、聊伝後素之新様、因有所感、乃作讃焉。其詞、
>>大夫姓は柿下、名は人麿、蓋し上世の歌人なり。持統・文武の聖朝に仕へ、新田・高市之皇子に遇ふ。吉野山の春風は、千駕を従へて寿を献じ、明石浦の秋霧は、扁舟を思ひて詞を瀝(そそ)ぐ。誠にこれ六義の秀逸、万代の美談なるか。まさに今幽玄の古篇を重くするに依りて、いささか後素の新様を伝へ、感ずる所有るに因(よ)りて、すなはち讃を作る。その詞(ことば)、
和歌之仙 受性于天 和歌の仙、性を天に受く
其才卓爾 其鋒森然 その才卓爾たり、その鋒森然たり
三十一字 詞華露鮮 三十一字、詞華露鮮なり
四百余歳 来葉風伝 四百余歳、葉風来たりて伝ふ
斯道宗匠 我朝前賢 斯道の宗匠、我朝の前賢たり
温而無滓 鑽之弥堅 温にして滓無く、鑽るにいよいよ堅し
鳳毛少彙((「彙」は底本「景」。諸本により訂正)) 麟角猶専 鳳毛彙(たぐ)ひ少く、麟角なほ専らなり
既謂独歩 誰敢比肩 既に独歩と謂ふ。誰か敢へて比肩せん。
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ
この讃、兼日に敦光朝臣((藤原敦光))作りて、前兵衛佐顕仲朝臣((藤原顕仲))清書しけり。当日、影の前に机を立てて、飯一坏(ひとつき)、菓子、やうやうの魚鳥等を据ゑたり。ただし、物にて作りて実物にはあらず。前木工頭俊頼朝臣((源俊頼))・加賀守顕輔朝臣((藤原顕輔))・前兵衛佐顕仲朝臣・大学頭敦光朝臣・少納言宗兼((藤原宗兼))・前和泉守((底本「守」なし。諸本により補う。))道経((藤原道経))・安芸守為忠((藤原為忠。底本「忠」なし。諸本により補う。))等なり。次に饗膳を据う。次に柿下初献(しよこん)、侍人等、鸚鵡(あうむ)の盃・小銚子を持ちて簀子敷(すのこじき)に候ひけり。
亭主(顕季卿)申されけるは、「初献は和歌の宗匠勤めらるべし」。満座、一同しければ、俊頼朝臣、座を立ちて影の前に進む。顕輔、盃を取りて、人丸の前に置く。道経、小銚子を取りて、盃に入れて、机の上に置く。おのおの座に返り着きて勧盃あり。二献のほどに、式部少輔行盛((藤原行盛))、来たり加はる。右中将雅定朝臣((源雅定))、また来られり。
亭主のいはく、「まづ、人丸の讃を講ずべきなり」。人々所存同じからず。亭主、なほ讃を前に講ずべきよし、申されければ((底本「ば」なし。諸本により補う。))、机の前に文台を置きて円座を敷く。件(くだん)の讃、白唐紙二枚に書きたり。右兵衛督((藤原実行))、また来らる。讃を開きて、文台に置きて、これを講ぜらる。
次に和歌を講ず。題にいはく、「水風晩来」。敦光朝臣、序を書きけり((「書きけり」は底本「書きりけり」。諸本により訂正。))。講じ終るほどに、敦光朝臣、朗詠を出だす。「新豊酒色云々」。次に亭主、同じ句を出だす。また詠吟せられていはく、「ほのぼのと明石の浦の朝霧に」。次に敦光朝臣、詠吟していはく、「たのめつつ来ぬ夜あまたに」。衆人、興に入りて、おのおの後会を約しけり。
>夏日於三品将作大匠水閣同詠水風晩来和歌 一首并序 大学頭敦光
>>夏の日三品将作大匠の水閣に於いて同じく水風晩来の和歌を詠ず
>我朝風俗、和歌為本。生於志形於言。記一事詠一物。誠為諷諭之端、長者君臣之美。是以将作大匠毎属覲天之余閑、凝詞露於六義、叶賞心者、花鳥草虫之逸興。応嘉招者、香衫細馬之群英。今日会遇只是一揆。方今流水当夏兮冷、風迎暁兮来。蘆葉戦以凄々。渚煙漸暗、杉標動以颯々。沙月初明、情感不尽。聊而詠吟。其詞曰、
>>我が朝の風俗、和歌を本と為す。志に生じて言に形(あら)はる。一事を記し一物を詠ず。誠に諷諭の端を為し、長者君臣の美なり。ここをもつて将作大匠覲天(きんてん)の余閑に属する毎に、詞露を六義に凝し、賞心に叶ふは、花鳥草虫の逸興なり。嘉招に応ずるは、香衫細馬の群英なり。今日の会遇はただこれ一揆なり。まさに今流水夏に当りて冷やかに、風は晩を迎へて来たる。蘆葉戦(をののき)て以て凄々たり。渚煙漸く暗く、杉標動きて以て颯々たり。沙月初めて明らかに、情感尽きず。いささか詠吟す。その詞(ことば)にいはく、
>風吹けば波とや秋の立ちぬらん水際(みぎは)凉しき夏の夕暮れ
於柿下大夫影前、詠((底本「詠」なし。諸本により補う。))水風晩来和歌(柿下大夫の影前に於いて、水風晩来の和歌を詠ず)
修理大夫顕季
夕月夜(ゆふづくよ)むすぶ泉もなけれども志賀の浦風凉しかりけり
右兵衛督実行
大幣(おほぬさ)や夕波立つる風吹けばまだきに秋といはれのの地
内蔵頭長実((藤原長実))
夕されば川風凉し水の上に波ならねども秋や立つらん
右馬頭経忠
槙(まき)流す穴師(あなし)の川に風吹きてこの夕暮れぞ波さやに立つ
右近中将雅定
夕まぐれ難波堀江に風吹けば葦の下葉ぞ波に折らるる
源俊頼
夕日さす野守の鏡かひもなくふれける風に影しそはねば
中務権大輔顕輔
まだきより秋は立田の川風の凉しき暮れに思ひ知られぬ
散位道経
手にむすぶいささ瀬川の増し水に袂(たもと)凉しく夕風ぞ吹く
式部少輔行盛
水のあやを吹き来る風の夕月夜波の立つなる衣かさなむ
散位顕仲
夕さればなつみの川を越す風の凉しきにこそ秋も待たれず
少納言宗兼
谷川の北より風の吹き来れば岸も波こそ凉しかりけり
皇后宮少進藤原為忠
あかねさす檜隈川(ひのくまがは)の夕影に瀬々吹く風は秋ぞ来にける
===== 翻刻 =====
元永元年六月十六日修理大夫顕季卿六条東洞院亭
にて柿下大夫人丸供をおこなひけり件人丸の影(兼房/朝臣)
(夢本)あたらしく図絵する也左の手に紙をとり右の手
に筆を握てとし六旬はかりの人なり其うへに讃を書
柿下朝臣人麿画賛一首(并/序)
大夫姓柿下名人麿蓋上世之哥人也仕 持統文
武之聖朝遇新田高市之皇子吉野山之春風従
千駕而献寿明石浦之秋霧思扁舟而瀝詞誠
是六義之秀逸万代之美談者歟方今依重
幽玄之古篇聊伝後素之新様因有所感乃作讃焉其/s131r
詞和哥之仙受性于天其才卓爾其鋒森然
三十一字 詞華露鮮 四百餘歳 来葉風伝
斯道宗匠 我朝前賢 温而無滓 鑽之弥堅
鳳毛少景 麟角猶専 既謂独歩 誰敢比肩
ほのほのとあかしの浦の朝霧にしまかくれゆく舟をしそ思
此讃兼日に敦光朝臣つくりて前兵衛佐顕仲朝臣清書
しけり当日影の前に机をたてて飯一坏菓子やうやうの
魚鳥等をすへたり但物にてつくりて実物にはあらす前
木工頭俊頼朝臣加賀守顕輔朝臣前兵衛佐顕仲
朝臣大学頭敦光朝臣少納言宗兼前和泉道経安藝
守為等也次饗膳をすゆ次柿下初献侍人等鸚鵡の/s131l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/131
盃小銚子をもちて簀子敷に候けり亭主(顕季/卿)申
されけるは初献は和哥の宗匠つとめらるへし満座一同
しけれは俊頼朝臣座を立て影の前にすすむ顕輔
盃をとりて人丸の前にをく道経小銚子をとりて盃に
入て机の上にをく各座にかへりつきて勧盃あり二献の程に
式部少輔行盛来くははる右中将雅定朝臣又来られり
亭主のいはく先人丸の讃を講すへき也人々所存不同
亭主猶讃を前に講すへきよし申されけれ机の前に文
臺を置て円座をしく件讃白唐紙二枚に書たり右
兵衛督又来らる讃をひらきて文臺にをきてこれを
講せらる次和哥を講す題云水風晩来敦光朝臣序/s132r
をかきりけり講しをはる程に敦光朝臣朗詠をいたす
新豊酒色云々次亭主同句を出す又詠吟せられて云
保能々と明石浦之朝霧に次敦光朝臣詠吟してい
はく多能免つつ不来夜数多爾衆人興に入ておのおの後会を約しけり
夏日於三品将作大匠水閣同詠水風晩来和哥
一首并序
大学頭敦光
我朝風俗和哥為本生於志形於言記一事詠
一物誠為諷諭之端長者君臣之美是以将作
大匠毎属覲天之餘閑凝詞露於六義叶賞心者
花鳥草虫之逸興応嘉招者香衫細馬之群/s132l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/132
英今日会遇只是一揆方今流水当夏兮冷風
迎晩兮来蘆葉戦以凄々渚煙漸暗杉標動以颯
々沙月初明情感不尽聊而詠吟其詞曰
風ふけは浪とや秋の立ぬらんみきはすすしき夏の夕くれ
於柿下大夫影前水風晩来和謌
修理大夫顕季
夕つくよむすふ泉もなけれともしかのうら風すすしかりけり
右兵衛督実行
おほぬさや夕浪たつる風ふけはまたきに秋といはれのの地
内蔵頭長実
夕されは河かせすすし水のうへに浪ならねとも秋や立らん/s133r
右馬頭経忠
槙なかすあなしの川に風ふきてこの夕くれそ浪さやにたつ
右近中将雅定
夕まくれなにはほりえに風ふけはあしの下葉そ波におらるる
源俊頼
ゆふ日さす野守のかかみかひもなくふれける風に影しそはねは
中務権大輔顕輔
またきより秋は立田の河かせのすすしき暮に思しられぬ
散位道経
手にむすふいささせかはのまし水にたもとすすしく夕風そふく
式部少輔行盛/s133l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/133
水のあやをふきくる風の夕月よ浪のたつなる衣かさなむ
散位顕仲
夕されはなつみの川をこす風のすすしきにこそ秋もまたれす
少納言宗兼
谷河の北より風のふきくれはきしも浪こそすすしかりけり
皇后宮少進藤原為忠
あかねさすひのくま川の夕かけに瀬々ふく風は秋そ来にける/s134r
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/134