[[index.html|古今著聞集]] 文学第五 ====== 120 江中納言匡房卿承徳二年都督に任じて下りけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 江中納言匡房卿((大江匡房))、承徳二年((堀河天皇の時代))、都督に任じて下りけるに((「けるに」は底本「けりに」。諸本により訂正。))、同じき康和三年に、都督、夢想のことありて、安楽寺((「安楽寺」は底本「安某寺」。諸本により訂正))の御祭をはじめて、八月二十一日、翠華(すいくわ)を浄妙寺にめぐらす。この寺は、天神((菅原道真))の御車をとどめし地なり。治安の都督惟憲卿((藤原惟憲))、かの跡を悲しみて、一伽藍をその跡に修復して、法華三昧を修す。 同じき二十三日、宰府((太宰府))に還御。僚官・社司、みな馬に乗りて供奉す。廟院の南に頓宮あり。神輿をその内に休めて、神事をその前に行ふ。翌日((「翌日」は底本「翼日」。諸本により訂正。))に宴終りて、夜に入りて、才子引きて宴席をのぶ。これを祭(まつり)の竟宴(きやうえん)といふなり。「神徳契遐年(神徳遐年を契る」といふ題を初めて講ぜられける。 序を都督書かれけるに、 >桑田縦変、日祭月祀之儀長伝。芥城縦空、配天掃地之信無絶。況亦崑崙万歳三宝之桃矣。便充枌楡之珍羞。崆峒一劫一熟之瓜、更代蘋蘩之綺饌。 >>桑田は縦(たと)ひ変ずとも、日祭月祀の儀長く伝はらん。芥城は縦ひ空しくとも、天に配し地に掃(はら)ふの信絶ゆること無し。いはんやまた崑崙の万歳三宝の桃をや。すなはち枌楡(ふんゆ)の珍羞に充ち、崆峒(こうどう)一劫一熟の瓜なり。さらに蘋蘩(ひんぱん)の綺饌(きせん)に代ふ。 と書かれて侍るゆゑにや、この祭礼、年を経て絶ゆるなく、いよいよ脂粉をぞ添へられ侍る。 同じ序にいはく、 >社稷之臣、政化雖高、朝闕万機、未必光姫霍。風月之主、才名雖富、夜台一掩、未必類祖宗。彼蕭々((「々」は底本「之」。文意により訂正。))暮雨、花尽巫女之台。嫋々秋風、人下伍子之廟。古今相隔、幽奇惟同。匡房五稔之𥙖((𥙖は禾+共))已満。待春漸艤江湖之舟。并観之期難知。何日復列廟門之籍。 >>社稷の臣、政化高しといへども、朝闕の万機、未だ必ずしも姫霍を光らしめず。風月の主、才名富むといへども、夜台一たび掩(おほ)へば、未だ必ずしも祖宗に類せず。彼の蕭々たる暮雨、花は巫女の台に尽く。嫋々(でうでう)たる秋風、人は伍子の廟に下る。古今相ひ隔て、幽奇これ同じ。匡房五稔の𥙖已に満つ。春を待ちて漸く江湖の舟を艤す。しかしながらこれを観る期知り難し。何れの日か復た廟門の籍に列せん。 と書かれたりける。詩にいはく、  蒼茫雲雨知吾否 蒼茫たる雲雨吾を知るや否や  其奈将帰於帝京 其れまさに帝京に帰らんとするをいかん となん作られたり。 この序を講じける時、この中の句を、御殿の方に人の詠ずる声の聞こえけるは、「疑ひなく、神感のあまりに、天神、御詠吟ありけるにこそ」と人々申しける。今年都督𥙖((𥙖は禾+共))満の年に当たれり。明春帰洛せんずることを、神も名残多く思し召して、かく倡吟ありけるにや。 同じき四年、都督、すでに花洛に赴くとて、曲水宴に参りて、序を書かれけるに、夢の中に人来たりて告げければ、「この序の中に誤りあり。直すべし」と言ふと見て覚めぬ。 その後、件(くだん)の序を沈思ありけるに、  柳中之景色暮 柳中の景色暮れ  花前之飲欲罷 花前の飲罷(や)めんと欲す といふ句ありけり。「柳中は秋のことなり。春の時にあらず」と覚悟して、すなはち直されにけり。 同じき序に、 >潘江陸海、玄之又玄也。暗引巴字之水。洛妃漢如、夢而非夢也。自動魏年之塵。尭女((「女」は底本「如」。諸本により訂正。))廟荒、春竹染一掬之涙。徐君墓古、秋松懸三尺之霜。右軍既酔、蘭台之席稍巻。左驂頻顧、桃浦之駕欲帰。 >>潘江陸海、玄のまた玄なり。暗に巴字の水を引く。洛妃漢如、夢にして夢にあらざるなり。自(おのづか)ら魏年の塵を動かす。尭女の廟荒れ、春竹一掬の涙を染む。徐君の墓古りて、秋松三尺の霜を懸く。右軍((王羲之))既酔、蘭台の席稍(やうや)く巻く。左驂頻りに顧みて、桃浦の駕帰らんと欲す。 かやうの秀句どもを書き出だされたりけるに、尊廟の深くめでさせ給ひにけるにこそ。講ぜらるる時、御殿の戸の鳴りたりけるは、満座の府官・僚官((「僚官」は底本「僚管」。文脈により訂正。))一人も残らず、みなこれを聞きけり。その声、雷のごとくになん侍りける。 この卿、嘉承二年、また都督になりたりける。これも神の御はからひにこそ。かたじけなきことなり。 ===== 翻刻 ===== 江中納言匡房卿承徳二年都督に任してくたり けりに同康和三年に都督夢想の事ありて安某/s92l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/92 寺の御祭をはしめて八月廿一日翠華を浄妙寺に めくらす此寺は天神の御車をととめし地也治安の都 督惟憲卿彼跡をかなしみて一伽藍を其跡に 修復して法花三昧を修す同廿三日宰府に還 御僚官社司みな馬にのりて供奉廟院の南に頓 宮あり神輿をその内にやすめて神事をその前に おこなふ翼日に宴をはりて夜に入て才子ひきて 宴席をのふこれをまつりの竟宴といふ也神徳 契遐年といふ題をはしめて講せられける序を都督 かかれけるに桑田縦変日祭月祀之儀長伝芥城 縦空配天掃地之信無絶況亦崑崙万歳三宝之/s93r 桃矣便充枌楡之珍羞崆峒一劫一熟之瓜焉更代 蘋蘩之綺饌とかかれて侍る故にや此祭礼とし をへてたゆるなくいよいよ脂粉をそそへられ侍る同 序云社稷之臣政化雖高朝闕万機未必光姫 霍風月之主才名雖富夜臺一掩未必類祖宗彼 蕭之暮雨花尽巫女之臺嫋々秋風人下伍子之 廟古今相隔幽奇惟同匡房五稔之𥙖已満待春 漸艤江湖之舟并観之期難知何日復列廟門之 籍とかかれたりける詩にいはく蒼茫雲雨知吾否其 奈将帰於帝京となん作られたりこの序を講しける時 この中の句を御殿のかたに人の詠るこゑのきこえける/s93l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/93 はうたかひなく神感のあまりに天神御詠吟ありける にこそと人々申ける今年都督𥙖満のとしにあたれ り明春帰洛せんする事を神もなこりおほくおほし めしてかく倡吟ありけるにや同四年都督すてに花 洛におもむくとて曲水宴にまいりて序をかかれけるに 夢の中に人来てつけけれはこの序の中にあやまりあり なをすへしといふとみてさめぬそののち件序を 沈思ありけるに柳中之景色暮花前之飲欲罷 といふ句ありけり柳中は秋の事也春の時にあらすと 覚悟してすなはちなをされにけり同序に潘江陸 海玄之又玄也暗引巴字之水洛妃漢如夢而非夢/s94r 也自動魏年之塵尭如廟荒春竹染一掬之涙徐君 墓古秋松懸三尺之霜右軍既酔蘭臺之席稍 巻左驂頻顧桃浦之駕欲帰かやうの秀句ともを かきいたされたりけるに尊廟のふかくめてさせ給にける にこそ講せらるる時御殿の戸のなりたりけるは満座の 府官僚管一人ものこらすみなこれをききけりそのこゑ 雷のことくになん侍ける此卿嘉承二年又都督に なりたりけるこれも神の御斗にこそかたしけなき事也/s94l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/94