[[index.html|古今著聞集]] 公事第四 ====== 94 寛治八年正月二日殿の臨時の客ありけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 寛治八年正月二日、殿((藤原師実))の臨時の客ありけるに、左大臣の左大将((源俊房。底本「俊房」と傍注。))・右大臣((源房顕。底本「房顕房歟」と傍注。))・内大臣((藤原師通。底本「後二条」と傍注。))参りたり。こと果てて、おのおの御馬引かれければ、三公((「三公」は底本「三」なし。諸本により補う。))、地に下りて拝し給ひけり。殿下、左府の随身府生下毛野敦久・右府の前駆三河権守盛雅((源盛雅))を南階の前に召して、御衣(おんぞ)を脱ぎて賜はせけり。内大臣・中納言の中将((藤原忠実。師通の子。))、左右より進み寄り給ひて、紅(くれなゐ)の打袙(うちあこめ)・御単(おんひとへ)を繰り出だされけり。中納言の中将、伝へ取りて、御単をば敦久に賜ひ、打衣をは盛雅に賜ひけり。先規あれども時にのぞみて、面目ゆゆしくぞ侍りける。 次に中宮の御方((後三条天皇皇女篤子内親王))、臨時の客に人々参り給ひけり。催馬楽(さいばら)・朗詠など果てて、散手(さんじゆ)・新靺鞨(しんまか)・其駒(そのこま)などに及びける。淵酔(えんずい)の興ためしなくや侍らん。 ===== 翻刻 ===== 寛治八年正月二日殿の臨時客ありけるに左大臣(俊房) 左大将右大臣(房顕房歟)内大臣(後二条)参たり事はてて各御馬ひかれ けれは公地に下て拝し給けり殿下左府随身府 生下毛野敦久右府前駆参川権守盛雅を南階の 前にめして御衣をぬきてたまはせけり内大臣中納言 中将左右よりすすみより給てくれなゐのうちあこめ御 ひとへをくりいたされけり中納言中将つたへとりて御/s81l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/81 単をは敦久にたまひ打衣をは盛雅に給けり先 規あれとも時にのそみて面目ゆゆしくそ侍ける次中 宮御方臨時客に人々まいり給けり催馬楽朗詠なと はてて散手新靺鞨其駒なとにをよひける渕酔の 興ためしなくや侍らん/s82r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/82