[[index.html|古今著聞集]] 神祇第一 ====== 18 隆覚法印保延五年に興福寺別当になりたりけるを・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 隆覚法印、保延五年に興福寺別当になりたりけるを、衆徒もちゐざりければ、隆覚、怒りをなして、数百騎の軍兵を散じて、十一月九日、三方より興福寺をうち囲みて((底本「打かみみて」))けり。隆覚が方の兵(つはもの)、寺の中へ乱れ入らんとする間、合戦に及びて、隆覚が方の軍兵多く命を失ひにけり。 二十余人は生け捕りにせられにけり。隆覚、衆徒の頸を斬りて、御寺を焼き失ふべきよし、下知したりければにや、隆覚が兵の中に放火の具を持ちたる者ありけり。寺の外の小家、一二宇焼けたりけれども、雨降りて消えにけり。 大方、合戦の間、不思議ども多かりけり。春日山に神光ありけるが、合戦はてて見えずなりにけり。ある人の夢にも、御寺の方の兵、鹿の形なりけりと見けり。 また、神主時盛((大中臣時盛))が夢には、弓袋さしたる兵、数万騎ありけり。時盛、怪しみて問ひければ、「春日大明神の御合戦の御訪(とぶら)ひに、藤の入道殿の参らせ給ふ兵なり」とぞ答へける。時盛、驚くほどに、隆覚が兵入りにけり。大明神の御はからひにて、衆徒、合戦理((利に同じ。有利))にしける。厳重なりけることなり。 藤入道殿とは、誰の御事にか。宇治の左府((藤原頼長))の御記には、「御堂((藤原道長))の御事にや」とぞ侍るなる。 ===== 翻刻 ===== 隆覚法印保延五年に興福寺別当に成たりけるを 衆徒もちゐさりけれは隆覚いかりをなして数百騎 の軍兵を散して十一月九日三方より興福寺を打かみ みてけり隆覚か方のつは者寺の中へ乱入んとする あひた合戦に及て隆覚か方の軍兵おほく命を 失にけり廿余人はいけとりにせられにけり隆覚衆 徒の頸をきりて御寺を焼うしなふへきよし下知し たりけれはにや隆覚か兵の中に放火の具を持たる/s19r ものありけり寺の外の小家一二宇焼たりけれとも 雨ふりて消にけり大方合戦の間不思議共多かりけり 春日山に神光ありけるか合戦はてて見えす成にけり 或人の夢にも御寺の方の兵鹿の形なりけりと見けり 又神主時盛か夢には弓袋さしたる兵数万騎あり けり時盛あやしみて問ければ春日大明神の御合戦の 御訪に藤入道殿のまいらせ給ふ兵なりとそ答ける時盛 驚程に隆覚か兵いりにけり大明神の御はからひにて 衆徒合戦理にしける厳重也ける事なり藤入道殿とは 誰の御事にか宇治左府御記には御堂の御事にやとそ侍なる/s19l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/19