====== 鴨長明 ====== かものちょうめい(1155〜1216) ===== 略歴 ===== [[鎌倉時代]]の歌人。久寿二年(1155)〜建保四年(1216)閏6月8日ごろ、62歳。通称、菊太夫。[[法名]]蓮胤。下鴨神社の禰宜、長継の次男。 [[和歌]]、管弦に秀で、和歌は[[俊恵]]に師事する。 自撰[[私家集]]に『[[鴨長明集]]』があり、[[随筆]]『[[方丈記]]』、[[歌論]]『[[無名抄]]』、仏教[[説話集]]『[[発心集]]』の作者としても知られる。 [[勅撰和歌集]]では、『[[千載和歌集]]』に1首、『[[新古今和歌集]]』に10首入集。 ===== 年譜 ===== ^和暦^西暦^年齢^事項^ |久寿2|1155|1|賀茂御祖神社の禰宜、鴨長継の次男として生まれる。| |応保元|1161|7|10月17日従五位下| |治承4|1180|26|秋、摂津に旅行。| |養和元|1181|27|5月、『[[鴨長明集]]』成る。| |文治2|1186|32|秋〜冬、伊勢に旅行。『伊勢記』(散逸)成る。| |文治3|1187|33|9月、『[[千載和歌集]]』成立。1首入集。| |建久2|1191|37|3月3日、若宮八幡歌合に出席。(3首現存)| |正治2|1200|46|9月30日、院当座歌合に出席。(3首現存)| | | | |10月1日、院当座歌合、和歌会に出席。(3首現存)| | | | |12月、土御門内大臣家[[影供]]歌合に出席。(1首現存)| | | | |8月以降、第二度百首和歌(100首現存)、三百六十番歌合(5首現存)に参加。| |建仁元|1201|47|1月、土御門内大臣家影供歌合に出席。(1首現存)| | | | |3月16日、院影供歌合に出席。(6首現存)| | | | |3月29日、新宮撰歌合に出席。(1首現存)| | | | |8月ごろ、[[和歌所]]寄人になる。| | | | |8月3日、和歌所初度影供歌合に出席。(6首現存)| | | | |8月十五夜、和歌所撰歌合に出席。(4首現存)| | | | |9月十三夜、和歌所影供歌合に出席。(3首現存)| | | | |12月、石清水八幡三首和歌に出席。(1首現存)| |建仁2|1202|48|1月13日、和歌所撰歌合に出席。(和歌は現存しない)| | | | |3月22日、三体和歌・当座和歌に出席。(7首現存)| | | | |5月26日、影供歌合に出席。(3首現存)| |建仁3|1203|49|2月24日、大内花見に出席。(和歌は現存しない)| | | | |6月16日、和歌所影供歌合に出席。(3首現存)| | | | |7月15日、八幡若宮撰歌合に出席。(2首現存)| | | | |11月23日、俊成卿九十賀宴に出詠。(1首現存)| |元久元|1204|50|出家。大原隠棲。| |元久2|1205|51|3月6日。『[[新古今和歌集]]』奏覧。10首入集。| | | | |6月15日、五辻殿詩歌合に出詠。(4首現存)| |承元2|1208|54|このころ日野の外山に移り、方丈の庵を結ぶ。| |建暦元|1211|57|秋、[[飛鳥井雅経]]の推挙により鎌倉に赴く。| | | | |10月13日、[[源実朝]]に面会。| | | | |承元2年以降このころまでに『[[無名抄]]』成立か。| |建暦2|1212|58|3月晦日ごろ、『[[方丈記]]』成立。| |建保2|1214|60|このころ『[[発心集]]』成立か。| |建保4|1216|62|閏6月8日、没。| ===== 参考 ===== ==== 注釈 ==== * 校註鴨長明全集(簗瀬一雄・風間書房・昭和55年8月) {{tag>鎌倉時代 和歌 歌人 僧侶 鴨長明}}