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- 337 同じ朝臣十二年の合戦の後宇治殿へ参て戦ひの間の物語申しけるを
- 言に言はれけるを、義家の郎等聞きて、「けやけきことをのたまふ人かな」と思ひたりけり。 さるほどに、江帥((大江匡房))出でられけるに、やがて義家も出でけるに、郎等、「かかることをこそのたまひつれ」と語りければ、「さ... 、にはかに驚きて、行(つら)を乱りて飛び帰りけるを、将軍怪しみて、轡(くつばみ)を押さへて、「先年、江帥の教へ給へることあり。『それ軍、野に伏す時は、飛雁行を破る』。この野に必ず敵伏したるべし。搦手(から... 、かねてさとりぬることなれば、将軍の軍、勝ちに乗りて、武衡((清原武衡))等か軍、破れにけり。 「江帥の一言なからましかば、危なからまし」とぞ言はれける。 ===== 翻刻 ===== 同朝臣十二年合戦之後宇治殿へ参てたたかひの間 の物語申けるを匡房卿よくよく聞て器量は賢き武 者なれとも猶軍の道をはしらぬと独事にいはれけるを 義家の郎等聞て
- 82 匡房中納言は太宰権帥になりて任に赴かれたりけるに・・・
- [[index.html|古今著聞集]] 政道忠臣第三 ====== 82 匡房中納言は太宰権帥になりて任に赴かれたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 匡房中納言((大江匡房))は、太宰権帥になりて任に赴かれたりけるに、道理にて取りたる物をば舟一艘に積み、非道にて取りたる物をばまた一艘に積みて上(のぼ)られけるに、道理の舟は入海してけり。非道の舟、平らかに着きてければ、江帥(がうのそつ)言はれけるは、「世は早く末になりにたり。人いたく正直なるまじきなり」とぞ侍りける。それ
- 258 嘉保二年八月八日院に行幸ありて相撲を御覧ぜられける・・・
- ==== 嘉保二年八月八日、院((白河院の御所。))に行幸ありて、相撲(すまひ)を御覧ぜられける。江帥((大江匡房))、兼日(けんじつ)に式を作りて奉りける時、舞人狛光季申しけるは、「万歳楽(まんざいらく)をとどめ... 説は賀殿同じかるべし。一つには舞興賀殿まされり。一つにはこの院新造たり。賀殿の儀あひかなへり」。 江帥、このよしを奏せられければ、しかるべきよし、勅定ありて、まづ賀殿・地久(ちきう)を 奏しけり。その時... る。 ===== 翻刻 ===== 嘉保二年八月八日院に行幸ありて相撲を御覧せられ ける江帥兼日に式をつくりてたてまつりける時舞人 狛光季申けるは万歳楽をととめて賀殿を奏せんと思 その... .jp/biblio/100190287/viewer/172 此院新造たり賀殿の儀あひ叶へり江帥このよしを奏せ られけれはしかるへきよし勅定ありてまつ賀殿地久を 奏しけり其時の内裏は堀川院
- 367 承元元年より三ヶ年が間新日吉の小五月会に・・・
- 舎人一人、口に付きて、禄二領賜はりけり。ことに叡感ありけるとぞ。 かやうの時、面懸押し外すことは、江帥((大江匡房))、記しおかれたるは、「馳せ出だして百の術あり」と侍るなる、その一つなりとぞ。 ===== 翻刻... けり舎 人一人口に付て禄二領給りけりことに叡感あり けるとそかやうの時おもかひをしはつす事は江帥記し をかれたるは馳出して百の術ありと侍なる其一 なりとそ/s269l http://ko
- 657 堀河院の御時五月五日江帥菖蒲を奉りたりける状に・・・
- ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 堀河院((堀河天皇))の御時、五月五日、江帥((大江匡房))菖蒲を奉りたりける状に、 進上 水辺昌蒲 千年五月五日 大江為武 この... やめ草千年(ちとせ)のさつきいつかたえせん ===== 翻刻 ===== 堀河院御時五月五日江帥昌蒲をたてまつり たりける状に 進上 水辺昌蒲 千年五月五日
- 457 敦光朝臣江帥の旧宅を過ぐとて・・・
- 旧宅を過ぐとて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 敦光朝臣((藤原敦光))、江帥((大江匡房))の旧宅を過ぐとて、 往時渺((「渺」は底本「眇」。文脈により訂正。))茫共誰語 往時渺茫(べ... たりける。 ===== 翻刻 ===== 系図に註せるおほつかなき事也尋侍へし敦光 朝臣江帥の旧宅をすくとて往時眇茫共誰 語閑庭唯有不言花と作りたりけるいとあはれに こそ侍れ後京極殿詩
- 481 いづれの年のことにかありけむ高陽院にて競馬ありけるに・・・
- り。不思議のことなり。 このこと、いづれの日記に見えたりといふこと確かならねど、かく申し伝へたり。江帥((大江匡房))の記されたるは、宇治殿の御記((藤原頼長の『台記』を指す。以下「昔有駿馬・・・」は、『台記』に見られる匡房の著書からの引用。))に、「昔有駿馬。負競馬、食殺其乗尻。到坂東成神云々。(昔駿馬有り。競馬に負け、... にけりふしきの事也此事いつれの日記に見え たりといふことたしかならねとかく申つたへたり 江帥のしるされたるは宇治殿御記に昔有駿馬 負競馬食殺其乗尻到坂東成神云々かかるためし も侍りける